これは、確認できる伝承ではありません。杉浦日向子の『百物語』に着想を得て、編者・一見坊が書き下ろした創作怪談です。百物語の作法にならい、百話をもって一つの区切りとします。一話ごとに灯芯を一本消していく体で進めており、九十九話まで語り終えました。最後の百話目は、あえて語らずに残しています。百物語の作法では、百話目を語り終えると、何かが現れるとされている。九十九話のまま、灯芯を一本だけ、灯したままにしておくことにした。
舞台はすべて江戸市中。飛脚、髪結い、湯屋、損料屋、質屋、花火師、小間物問屋など、名もない職人や商人の日々の中に、ふと紛れ込む怪異を書いています。実在の事件・人物を描いたものではありません。
この連載は、妖怪を主題にした創作物語を、この台帳の中でどこまで追求できるかという試みでもある。図鑑や分類のページが「調べる」ことだとすれば、こちらは「作る」こと。同じ台帳の中に、両方の姿勢を並べておきたかった。
一話ごとに、世界文学や日本の古典怪談の構成を、意識して借りている。千夜一夜物語の入れ子、羅生門の問答、雨月物語の型、猿の手の三つの願い、フランケンシュタインの創造物――こうして数えてみると、自分がどれだけ多くの物語の骨組みから、書き方そのものを学んできたかに、書きながら気づかされている。一話一話の後書きに、どの型を借りたかを、正直に書き添えるようにしているのも、そのためです。
盛り上げるだけでは終わらせないようにしています。各話、最後にもう一段、読み手が油断したところへ冷や水を浴びせる一節を入れています。あたたかい話のまま終わらせない、というのが、この連載の作法です。
妻が、内田百閒の小説のように、投げっぱなしの物語は、そこに創造の余地が生まれるのだと言っていた。私はこれにひどく共感して、それ以来、そんな形式の物語を、日々考えることにしている。答えを渡さないことは、手を抜くことではないと思う。分からないまま残しておく部分にこそ、読んだ人がそれぞれの続きを思い浮かべる余白がある。この連載で、はっきりした結末をあえて避けている話が多いのも、そのためです。