一文字目、読めない。二文字目、読めない。……鏡に映す。一文字目、「い」。二文字目、「ろ」。読める。
湯島の寺子屋で師匠を務める先生、宗善のもとに、ある日、差出人の分からない一通の文が届いた。開けてみると、そこには、誰も読んだことのない文字で、何かが綴られていた。宗善は、幼い頃、読み書きの覚えが遅く、近所の子供たちに、よく笑われていた。
宗善は界隈の学者たちに見せて回ったが、誰もその文字を読むことができなかった。ある老学者だけが、「これは、亡くなった者だけが読める文字だ」と言った。宗善はその文を、寺子屋の神棚に供えることにした。それからしばらくして、寺子屋に通う一人の子供が、熱を出して寝込んだ。子供は熱にうかされながら、その文の内容を、すらすらと語り始めた。それは、遠い昔にこの寺子屋の跡地で亡くなった、ある子供の言葉だった。
熱が下がった後、宗善は、その文を、もう一度確かめてみた。鏡に映してみると、それは、亡くなった者だけが読める特別な文字ではなく、鏡文字で書かれた、ごく普通のいろは文字だった。誰かが、まだ字を覚え始めた頃、左右を逆に書く癖のある子供が、練習のつもりで書いた文だったのかもしれない。
一文字目も、二文字目も、鏡の中でだけ、正しくなる。宗善は、その可能性を、老学者には話さなかった。
文字の正体が何であれ、あの子供が語った言葉は、この寺子屋の跡地で、遠い昔に亡くなった子供のものと、村の記録が一致していたからだった。