江戸怪談百物語 / 第20夜 / 深川・古道具屋

箱の中

はこのなか
灯芯とうしんを一本、消す。

一つ目の願い。深川の古道具屋で買った小さな漆塗りの箱に、貧しい大工が「腕がもっと良くなりますように」と願った。翌日から、仕事は驚くほど早く進むようになった。だが、あまりに早く終えるので、周りの大工たちから、手抜きをしているのではないかと疑われるようになった。腕は良くなったが、それを誰も認めてくれなくなった。

二つ目の願い。「みんなに、腕の良さを認めてもらえますように」翌日から、評判は一変し、誰もが仕事を褒めるようになった。だが、褒められるあまり、依頼が集中しすぎて、大工は寝る間もなく働かされるようになった。

三つ目の願い。「もう、これ以上仕事が来ませんように」翌日から、依頼はぱたりと止んだ。それどころか、誰も声をかけなくなり、まるで存在しないかのように扱われるようになった。

四つ目の願い。恐ろしくなって、最後にこう告げた。「元の通りの暮らしに戻してください」翌日、大工は目を覚まし、箱を買う前の暮らしに戻っていた。腕はほどほど、評判もほどほど、仕事もほどほどにあった。それに安堵したが、ふと、箱の中を確かめた。箱は空だった。ただ、内側の底に、小さな文字で「願いは、四つまで」と彫られているのに、初めて気づいた。

大工はそれ以来、その箱を誰にも売らず、床下に埋めてしまった。女房にょうぼうは、夫が床板を打ちつけながら、「これで、もう誰も掘り出せない」と、何度も呟いていたのを覚えている。

五つ目の願い、になるはずのもの。それから何年か経ったある日、床下からその箱を掘り出す者がいた。大工の息子だった。息子は、父がこの箱について何も語らなかったことを知らず、蓋を開けて、最初の願いを口にしようとしていた。誰も確かめようとはしない。ただ、大工の孫の代になって、一度だけ、床を張り替える大工事があった。その時、あの一角だけ、業者が「ここだけは触らないでくれ」と、施主から強く念を押されていた。

理由を尋ねられた施主は、「先代からの、たった一つの頼みごとだ」と答えただけだった。

この話について
編者の後書き
『猿の手』型の話を、「一つ目の願い」から「四つ目」、さらに実現しなかった「五つ目」まで、番号立てて列挙する構成にした。願いが積み重なるほど代償も積み重なる様子を、箇条書きのリズムで見せている。
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江戸怪談百物語 全99夜
第1夜文使い 第2夜三味線 第3夜湯屋ゆや 第4夜損料屋 第5夜髪結かみゆいい 第6夜蕎麦そば屋台 第7夜質屋しちや 第8夜花火師 第9夜十間店の噂 第10夜花見 第11夜かわたれ 第12夜文字売り 第13夜三人の証言 第14夜絵草紙 第15夜あとを追う男 第16夜借金取り 第17夜祝いの日 第18夜賽の目 第19夜往来切符 第20夜箱の中今、ここ 第21夜影の分だけ 第22夜夜番 第23夜双子の橋 第24夜最後の客 第25夜百物語のあと 第26夜役者絵 第27夜三つの願い 第28夜聊斎の客 第29夜能面の女 第30夜三つ子の産婆 第31夜忘れ物 第32夜蜘蛛の糸 第33夜永代橋の約束 第34夜影法師の借金 第35夜蔵の中の声 第36夜柳の下の男 第37夜首なし地蔵 第38夜百夜通い 第39夜読めない文 第40夜鏡師の遺言 第41夜羅生門の跡 第42夜変身 第43夜三人姉妹 第44夜狂気の沼 第45夜桶の中の顔 第46夜辻斬りの家 第47夜狐の嫁入り 第48夜虫の音 第49夜千両箱 第50夜消えた花嫁 第51夜耳無し芳一の弟 第52夜蛍の宿 第53夜竈かまどの中の声 第54夜紙人形の恋 第55夜鴉の遺言 第56夜くじの村 第57夜動かない番頭ばんとう 第58夜覚え違いの家庭教師 第59夜寄せ集めの人形 第60夜森の中の疑い 第61夜菊の約束 第62夜葦を刈る女 第63夜双六の果て 第64夜蜃気楼しんきろうの店 第65夜木霊の宿題 第66夜蝸牛の使者 第67夜百物語を辞める男 第68夜かかし問答 第69夜氷売りの影 第70夜蝙蝠問屋 第71夜錠前屋の鍵 第72夜提灯ちょうちんの灯り分け 第73夜蟬の宿替え 第74夜紅葉の便り 第75夜百物語の火 第76夜開かずの間 第77夜竹取の後日 第78夜酒呑みの罠 第79夜反物たんものの行方 第80夜蟻の行列 第81夜三日月の刀 第82夜硯の中の海 第83夜駕籠かごの中の声 第84夜金魚の目 第85夜蝶の遺言 第86夜石の記憶 第87夜三味線堀の月 第88夜蜻蛉の道しるべ 第89夜竹箒の踊り 第90夜縄暖簾のれんの声 第91夜提灯ちょうちんの返し忘れ 第92夜百足の忠告 第93夜鶴の恩返しの後 第94夜百物語の百一話目 第95夜影送り 第96夜九十九の灯 第97夜灯芯とうしんの続き 第98夜宮崎の灯 第99夜最後の灯芯とうしん