本所の古い蔵に住み着いていた百足が、ある晩、蔵の持ち主、伊兵衛の夢の中に現れ、「明日は、蔵に入るな」と告げた。百足は、毘沙門天の使いとされ、家を守る虫だという言い伝えが、この土地には古くからあった。伊兵衛は、それを気味の悪い夢だと思ったが、なんとなく、その日は蔵に入らないことにした。
翌日、蔵の梁が、まさにその日、老朽化して落ちた。伊兵衛は、あの夢のことを思い出し、蔵の隅に、百足のための小さな供え物を置くようになった。それ以来、蔵に何か異変が起こる前には、必ず同じ夢を見るようになった。
ある年、伊兵衛の息子が、蔵の隅で、初めて百足の姿を、実際に見た。息子は驚いて逃げようとしたが、百足は、逃げる息子の方ではなく、蔵の壊れかけた梁の方へ、ゆっくりと這っていった。息子は、それを見て、父から聞いていた話が、ただの夢の話ではないと悟った。
伊兵衛は息子に、「百足への礼は、驚いて逃げることではない。あれが向かう先を、黙って見てやることだ」と言い残した。
息子はその教えを、今も守っている。