折口信夫は実在の人物であり、以下の生涯・年代は、Wikipedia「折口信夫」「まれびと」、大妻女子大学学長通信、コトバンクの記述にもとづく史実として書いている。学説の評価は編者の私見として分けて書く。
1887年(明治20年)、大阪府生まれ。國學院大學卒業後、中学教員を経て、1922年に國學院大學教授、1928年からは慶應義塾大学教授も兼任した。歌人としても活動し、釈迢空の名で歌集を刊行している。1915年、柳田國男が主宰する雑誌『郷土研究』に論文を発表したのを機に、柳田を学問上の師と仰いだ。1953年没、66歳。生涯独身を通した。
史実:折口は、沖縄でのフィールドワークをきっかけに「まれびと」という概念を提示した。「客人(まれびと)」はもともと神と同義語であり、常世の国から時を定めて人間の世界を訪れる、という考え方である。なまはげ・あまめはぎのような来訪神や、沖縄のあかまた・くろまたといった怪神は、この「まれびと」の具体的な姿とされる。柳田にとっての神が祖先神(産霊神)だったのに対し、折口にとっての神は異郷から訪れる客人だった、という点で、二人の神観念は明確に異なっていた。
私の見方:折口の「まれびと」は、恐ろしい姿をしているのに、来てくれないと困る、という妖怪の中でもかなり特殊な立ち位置を説明できる考え方だと思う。この台帳の「来訪神・儀礼」というカテゴリーは、実質的に折口のまれびと論をなぞっている。柳田が定住者の視点から民俗を見たのに対し、折口は漂泊民・非定住者の側から見続けた、という対比も、同じ師弟でありながら見ている場所が違っていたんだと思わせて興味深い。
なまはげ・あまめはぎなど、この台帳の「来訪神・儀礼」に分類した妖怪は、折口の「まれびと」論を背景に持つ。妖怪と宗教ページの「来訪神」の項でも、この考え方を参照している。
大阪府に生まれる。
國學院大學卒業。
『郷土研究』に論文を発表。柳田國男と出会う。
國學院大學教授となる。
慶應義塾大学教授を兼任。
『古代研究』全3巻刊行。「まれびと」論(「国文学の発生」第三稿)を中軸に置く。
逝去(66歳)。