LAFCADIO HEARN

小泉八雲と妖怪

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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は実在の人物であり、以下の生涯・年代・著作名は、焼津小泉八雲記念館、新宿区ゆかりの人物データベース、各種事典類の記述にもとづく史実として書いている。個々の作品の内容紹介や、この台帳の妖怪との関わりについての解釈は、編者の私見として分けて書く。

本名パトリック・ラフカディオ・ハーン。1850年6月27日、ギリシャのイオニア諸島レフカダ島に、アイルランド人軍医の父とギリシャ人の母のもとに生まれた。1869年に単身アメリカへ渡り、新聞記者として実績を積んだのち、1890年、ハーパー社の特派員として来日。島根県松江の尋常中学校で英語教師となり、士族の娘・小泉セツと結婚した。熊本の第五高等学校、神戸クロニクル社を経て、1896年、45歳でイギリス国籍を離れ日本に帰化。妻の姓と、「八雲立つ出雲」という枕詞にちなむ名を取り、小泉八雲と名乗った。以後、東京帝国大学・早稲田大学で英文学を講じながら、日本の伝承や怪談を英語で書き続け、1904年9月26日、心臓発作のため54歳で没している。

八雲がこの台帳と特に関わるのは、日本各地の怪談・奇談を英語で再話し、世界に紹介した仕事の部分だと思う。代表作『怪談』(1904年)には、耳なし芳一、ろくろ首、雪女、むじな(のっぺらぼう)など、この台帳にも登場する妖怪や、それに近い怪異が収められている。八雲は妻セツから聞いた話を中心に、日本各地の伝承を集め、独自の文体で再話した。単なる翻訳ではなく、再話・再構成であるという点は、この台帳が創作(百物語・近現代妖怪)と伝承(図鑑)を分けている姿勢とも、どこか重なるところがあると思う。

八雲の作品と、この台帳の妖怪との関わり
A ろくろ首『怪談』(1904年)収録「ろくろ首」。首だけが抜けて夜歩く妖怪を、八雲は独自の解釈を加えて再話している。 → B 雪女『怪談』(1904年)収録「雪女」。八雲が再話したことで国際的に知られるようになった、日本の雪女伝承の代表的な形。 → C のっぺらぼう『怪談』(1904年)収録「むじな」。顔のない怪異という点で、この台帳のっぺらぼうの記事とも重なる系統。 → D 耳無し芳一の弟(一見坊による創作)八雲「耳なし芳一の話」への、一見坊による異聞・オマージュ。江戸怪談百物語第51夜に収録。八雲自身の作品でも、実在の伝承でもありません。 →
著作年表
1850年
6月27日

ギリシャ・レフカダ島に生まれる。父はアイルランド人軍医、母はギリシャ人。

1890年
4月

ハーパー社特派員として来日。松江尋常中学校の英語教師となる。

1891年

小泉セツと結婚。熊本の第五高等学校教師に転任。

1894年

『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)刊行。来日後初の著作。松江での見聞が多くを占める。神戸クロニクル社記者に。

1895年

『東の国から』(Out of the East)刊行。

1896年
帰化・改名

日本に帰化し、小泉八雲と改名(45歳)。東京帝国大学文科大学の講師となる。『心』(Kokoro)刊行。

1897年

『仏の畠の落穂』(Gleanings in Buddha-Fields)刊行。

1898年

『異国風物と回想』(Exotics and Retrospectives)刊行。

1899年

『霊の日本』(In Ghostly Japan)刊行。

1900年

『影』(Shadowings)刊行。

1901年

『日本雑録』(A Japanese Miscellany)刊行。

1902年

『骨董』(Kotto)刊行。「幽霊滝の伝説」「茶碗の中」などを収める。

1903年

東京帝国大学の講師職を離れ、早稲田大学(東京専門学校)講師に。

1904年
代表作・没年

『怪談』(Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things)刊行。「耳なし芳一の話」「ろくろ首」「雪女」「むじな」など、妻セツから聞いた話を中心に再話した17編と、虫についての3編を収める。同年9月26日、心臓発作のため死去(54歳)。

1905年
没後刊行

『天の河縁起えんぎその他』(The Romance of the Milky Way and Other Studies and Stories)刊行。

1906年
没後刊行

『神国日本』(Japan: An Attempt at Interpretation)刊行。日本論としての遺著。