PHILOSOPHER

井上円了いのうええんりょうと妖怪学

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井上円了いのうええんりょうは実在の人物であり、以下の生涯・年代・分類は、Wikipedia「井上円了いのうええんりょう」、東洋大学井上円了いのうええんりょう哲学センターの公開資料、青空文庫収録『妖怪学』の記述にもとづく史実として書いている。学説の評価は編者の私見として分けて書く。

1858年(安政5年)、越後国(現・新潟県長岡市)の真宗大谷派の寺に生まれる。東京大学で哲学を学んだのち、1887年、私財を投じて哲学館(後の哲学館大学、現・東洋大学)を設立した。「妄信打破」の立場から、迷信や誤った信仰を合理的な哲学・科学の視点で解き明かす「妖怪学」の講義を始め、日本全国を行脚して妖怪・怪異の事例を収集した。館外員制度・哲学館講義録による通信教育も日本における先駆けで、生涯教育の実践者でもあった。1919年(大正8年)、中国旅行中に没した。61歳。著書は単行本だけで160冊に及ぶ。

妖怪へのアプローチ ― 「妖怪学」四分類

史実:円了は、妖怪的な現象を4つに分類した。偽怪(人が故意に作り出した偽物)、誤怪(妖怪でないものを誤って妖怪と認めたもの)、仮怪(自然の道理で説明できる、物理学・心理学で研究しうる「科学的妖怪」)、そして真怪(物理・心理の力も及ばない、人知を超えた「哲学的妖怪」)。偽怪・誤怪は「虚怪」として切り捨てるが、仮怪・真怪は「実怪」として研究の対象に残す、という整理である。

私の見方:円了のやり方は、妖怪を「ぜんぶ迷信だから無視する」のではなく、「本当に不思議なもの(真怪)」と「実は説明できるもの(仮怪)」を切り分けようとした点が、意外と実直だと思う。柳田が妖怪を記録・保存しようとしたのに対し、円了はそれを合理的に解体しようとした、という向きの違いはあるが、どちらも「妖怪をきちんと調べる」という態度は同じだったんだと思う。この台帳が信頼度を6段階で明示しているのも、根っこの部分では円了の態度と近いのかもしれない。

この台帳との接点

柳田國男やなぎたくにおと井上円了いのうええんりょうは、妖怪を「残すか、なくすか」という点で、しばしば対比的に語られる。円了没後、この対立をどう継承するかという課題に、小松和彦こまつかずひこをはじめとする後続の妖怪学が向き合っていく。この台帳の「信頼度」欄の発想は、円了の仮怪・真怪の切り分け方に近いところがあると思っている。

1858年

越後国(新潟県長岡市)に生まれる。

1885年

東京大学卒業。文部省出仕・実家寺院への帰還を断り、在野の道を選ぶ。

1887年
哲学館設立

私財を投じて哲学館を設立(現・東洋大学)。妖怪学の講義を開始。

1893年頃〜

『妖怪学講義』全6冊を刊行。日本全国を行脚して妖怪事例を収集。

1919年

中国旅行中に逝去(61歳)。