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妖怪は、日常に出る

ハレ・ケ・ケガレで、126体を数え直す
この切り口について

民俗学に「ハレ・ケ・ケガレ」という枠組みがある。日常と非日常を分けて、生活のリズムを説明するものだ。妖怪は非日常の側にいる、と思われがちである。

この台帳には、出典と信頼度を確認した126体の記事がある。それを三つに振り分けて数えてみた。結果は、思っていたのと違った。

まず、枠組みの説明

ケ(褻)は、普段の生活。朝起きて、働いて、眠る。特別なことが何も起きていない状態を指す。

ハレ(晴)は、祭礼さいれい、正月、婚礼こんれい、人生の節目。日常のルールを一度止めて、特別な食事や衣装で過ごす時間である。晴れ着、晴れ舞台の「ハレ」がこれにあたる。

ケガレは、日常が損なわれた状態。死、病、災害など。この三つが循環しているという見方が、民俗学では長く使われてきた。

ただし、説はひとつではない

ここは注意が要る。インターネット上の解説では「ケガレ=気枯れ、つまり生命エネルギーが枯れた状態」という説明をよく見かけるが、これは定説ではない。

柳田國男やなぎたくにおが提唱したのは、ハレとケの二つである。そして柳田の言う「ケ」は、褻着けぎ(けぎ・普段着)、褻稲けしね(けしね・日常の飯米)といった民俗語彙から取り出された概念で、「気」ではない。『禁忌習俗語彙きんきしゅうぞくごい』(1938年)で、柳田は毎日の飯米がケであると書いている。

ケガレが三つ目の概念として本格的に論じられるようになったのは、昭和45年(1970年)以降である。そこから先、研究者ごとに主張が分かれた。

桜井徳太郎さくらいとくたろうは、ケを生命エネルギーと捉え、それが枯れた状態をケガレとする説を立てた。「気枯れ」という解釈は、ここから来ている。

波平恵美子なみひらえみこは『ケガレ』(1984年)で、ケガレにおける不浄ふじょう性を重視した。死を黒不浄くろふじょう、出産や月経を赤不浄あかふじょうとして整理し、外から来る不浄ふじょうとして扱っている。桜井とは立場が異なる。

坪井洋文つぼいひろふみは、柳田と折口信夫おりくちしのぶの学説を統一的に再構成して、ハレとケを別の起源を持つものとして論じた。これもまた別のアプローチである。

つまり、「ケガレ=気枯れ」は桜井説であって、民俗学の共通見解ではない。この台帳では、どの説も確定したものとしては扱わない。以下の集計では、ケガレを「日常が損なわれた状態」という、各説に共通する最小限の意味で使う。

126体を、三つに振り分ける

この台帳では妖怪を10の分類に分けている。それを、ハレ・ケ・ケガレのどこに出るかで振り直した。

振り分けの基準は単純である。祭礼さいれいや儀礼の場に現れるならハレ、日常が損なわれた局面に現れるならケガレ、何事もない日常に現れるならケ。

区分含めた分類体数割合
ケ
何事もない日常
自然由来(29)/正体不明(28)/動物変化(16)/神の零落れいらく(10)/都市型(3) 8668%
ケガレ
日常が損なわれた局面
人間由来(14)/憑き物筋つきものすじ・家(10)/境界・道(5) 2923%
ハレ
祭礼さいれい・儀礼の場
神社仏閣(9)/来訪神らいほうしん・儀礼(2) 119%

振り分けには判断が入っている。たとえば座敷童子は家にいる妖怪なので憑き物筋つきものすじ・家に分類してあるが、害をなさず、むしろ家を栄えさせるという点では日常の側に置いてもよい。この表は厳密な分類ではなく、傾向を見るための目安である。

数えて分かったこと

妖怪の約七割は、何事もない日常に出る。

これは意外だった。妖怪は非日常の存在だ、という印象があったからである。だが数えてみると、ハレの側はわずか9%、126体のうち11体しかない。

ハレに出る妖怪が少ないのには、理由がありそうだ。祭礼さいれいの場に現れるものは、たいてい妖怪ではなく神として扱われる。この台帳で来訪神らいほうしん・儀礼に分類しているのはなまはげとあまめはぎの二体だけだが、どちらも地域では神として迎えられている。年に一度、決まった日に来て、決まった作法で帰っていく。そういうものは、そもそも妖怪と呼ばれない。

逆にいえば、妖怪とは、日常の側で説明のつかないことが起きたときに呼ばれる名前なのだと思う。夜道で壁に行き当たる(ぬりかべ)。家が理由もなく鳴る(家鳴)。風呂場の垢が気になる(垢嘗)。どれも祭りの日ではなく、何でもない日に起きる。

境界という、もうひとつの軸

この枠組みで妖怪を考えるとき、避けて通れないのが宮田登みやたのぼるの境界論きょうかいろんである。宮田は、妖怪が現れる場所として、辻、峠、橋、坂といった境界を挙げた。

境界は、ハレとケのどちらでもない場所である。村の内と外、この世とあの世、昼と夜。そのどちらにも属さない隙間に、妖怪が立つ。この台帳の境界・道の妖怪は5体と少ないが、実際には他の分類に入れたものの多くが、境界的な場所に現れている。

波平恵美子なみひらえみこも『ケガレ』の中で、境界や峠をケガレの現れる空間として扱っている。場所としての境界と、状態としてのケガレが、同じところで重なる。ここは面白いところだと思う。

現代の「ハレ」はどこへ行ったか

ここからは私見である。

地域の祭りが衰退すいたいしたと言われて久しい。ハレの装置が弱まったぶん、日常のケガレをリセットする機会が減った、という指摘がある。もしそうなら、新しいハレの場が別のどこかに生まれているはずだ。

この台帳で近現代妖怪として111体を創作しているが、書いていて気づいたことがある。職場、SNS、サウナ。現代の妖怪が出る場所は、どれもケの側である。祭りの場に出る妖怪を、ひとつも思いつかなかった。

非日常が薄くなった分、妖怪は日常に濃く出るようになったのかもしれない。これは確かめようのない話だが、数えた結果を見ていると、そう思えてくる。