都道府県以外の軸で妖怪を分けてみた。基本の考え方は、民俗学者・小松和彦の妖怪起源論を参考にしている。柳田國男は妖怪を「前代の神が零落したもの」としたけれど、小松和彦はそれに対して「妖怪は神と並んで最初から存在していて、人間に必要とされ続ける」と論じている。この分類も、どちらが正しいかを決めるためのものではなく、それぞれの妖怪がどんな不安・記憶・信仰から生まれたと考えられているかを並べてみるためのもの。
ひとつの妖怪が複数の性質を持つ場合もあるけれど、ここでは一番説明の軸になっている性質ひとつを選んで分類した。
この10分類を、民俗学のハレ・ケ・ケガレという別の軸で数え直した集計がある。結果は妖怪は、日常に出るにまとめた。
天候・地形・水中の生きものなど、自然そのものが妖怪として立ち現れたもの。小松和彦は妖怪を「妖怪現象(出来事)→妖怪存在(原因)→妖怪表象(造形化された姿)」という三段階で説明しており、このカテゴリはその最初の段階、人が制御できない自然現象に名前と姿が与えられる過程に近い妖怪群だと思う。一番古いタイプの妖怪だと思う。
かつて祀られていた神や、山岳信仰・職能集団の記憶が、時代を経て妖怪や零落した神として語られるようになったもの。柳田國男は妖怪を「前代の神が零落したもの」としたが、小松和彦はこれに異を唱え、妖怪は神と並んで最初から存在しており、人間に必要とされ続ける存在だと論じている。祀られなくなった神と、今も祀られている神が同じ棚に並んでいる、というのがこの分類の面白いところだと思う。
特定の神社・寺院に祀られる、あるいはその境内を舞台にする、信仰の場と地続きの妖怪たち。小松和彦がいう「妖怪は神と並んで最初から存在していた」という話が、いちばん実感としてわかるカテゴリーだと思う。ここに入っているものは、祟りの話よりも、今も現地に行けば会える、という現在進行形の存在感の方が強い。
怨霊、鬼になった人間、朝廷にまつろわなかった者たちの異形化など、実在した(とされる)人間が起源とされる妖怪。小松和彦は妖怪を「人間と人間との関係のなかから立ち現れてくる、自分(たち)の否定的分身」と表現している。祟る側にもそれなりの事情がある、と思わせる話が多いのも、このカテゴリの特徴だと思う。
実在する動物が人間や別の何かに化けるという妖怪。小松和彦の整理では、自然由来の妖怪が変質し、人工物由来の妖怪(付喪神)が登場する以前の段階に位置づけられることが多い。人間に一番近い場所で化けている妖怪たち、という気がする。
特定の家筋や、家という空間の中で語られる妖怪。小松和彦は『憑霊信仰論』で、貨幣経済が浸透した近世社会における富をめぐる妬みや不安が、狐持ち・犬神持ちのような憑き物筋の伝承を生んだと論じている(アメリカの人類学者G.フォスターの「限定された富のイメージ」を援用)。福を呼ぶ妖怪と、差別につながった伝承が同じ分類に入っているのは、正直なところ落ち着かない。
峠、辻、夜道など、村と外部を隔てる境界に現れる妖怪。民俗学者・宮田登の「境界論」に沿った分類。村の内と外を分ける線が、そのまま妖怪の出現場所になっている、というのは今回並べてみてよく分かった。
都・城・城下町など、人工的に築かれた権力の空間に現れる妖怪。自然の中の妖怪とは異なり、政治・権力そのものへの畏れや不安を映していると思う。
年中行事の中で、決まった時期に家々を訪れるという神格・妖怪。怖い格好をしているのに、来てくれないと困る、という矛盾を抱えた存在だと思う。
出自の理論的な説明がまだついていない、あるいは実録怪異譚として記録されたことそのものに価値がある妖怪。無理に起源を当てはめないのも、この台帳の誠実さのつもりでいる。