以津真天(いつまで)は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(1779年)にある怪鳥。原典は軍記物語『太平記』巻十二にある記述で、建武元年(1334年)秋、京で疫病が流行し多数の死者が出た頃、御所の紫宸殿の上に毎夜怪鳥が現れ「いつまで、いつまで」と鳴いて人々を恐れさせたという。公卿たちは、かつて源頼政が鵺(ぬえ)を退治した故事にならい、弓の名手・隠岐次郎左衛門広有(真弓広有)にこれを命じ、広有は鏑矢で見事に怪鳥を射落とした。『太平記』では、この鳥は単に「怪鳥」とのみ記され、固有の名前はなかった。石燕が『今昔画図続百鬼』でこれを描く際、鳴き声の「いつまで」に漢字を当てて「以津真天」と名づけたことで、初めて一個の妖怪名として成立した。現代の解説でよく見る「死体を野ざらしにする人間を戒める鳥」という説明は、中世・近世の文献には見られず、疫病流行という『太平記』の時代背景を近代以降に読み替えた後付けの解釈である。