CHRONICLE

縄文・弥生 妖怪原型クロニクル

このページの位置づけ

縄文・弥生時代には、妖怪の名前は一つも残っていない。文字がなかった時代なので、当然といえば当然。だからこのページは、二つのことを分けて書く。ひとつは考古学的にわかっている史実(遺跡・遺物・年代)。もうひとつは、その史実の上に立って編者が組み立てたオリジナルの仮説(クロニクル)。後者は学術的に実証された年表ではない。

前提として

縄文人や弥生人に「妖怪」はいなかった、と思う。妖怪という言葉もカテゴリーも、ずっと後の時代に人間が作ったものだから、それを縄文時代にそのまま当てはめるのは、現代の枠組みを過去に投影しているだけになる。だから、このページで探すのは「妖怪」そのものではない。妖怪を生み出すことになる、人間の側の感覚——自然を畏れる、異形を畏れる、境界を畏れる、死者を畏れる——の方。「起源」ではなく「原型」という言葉を使っているのはそのため。土偶が特定の妖怪の祖先だ、というような直系の系譜を主張するつもりはない。あるのは、同じような人間の想像力が、形を変えながら続いてきたという連続性だけだと思う。

妖怪図鑑に載っている座敷童子や河童のような「名前を持った妖怪」は、早くても古代(『古事記』『日本書紀』以降)の産物。縄文・弥生に見つかるのは、名前ではなく、後にその名前を必要とすることになる感覚の方だと思う。

一本の線として見ると
自然への畏れ
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異形への畏れ
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境界への畏れ
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死者への畏れ
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水・火・雷への畏れ
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見えない力を扱う人間
→
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濃い六つがこのページの範囲。薄い二つは専門的考察ページの年表(古代〜)で扱う。ただし実際の縄文・弥生の暮らしの中で、これらの感覚が上から順に一つずつ生まれたわけではないと思う。重なり合いながら育っていったはずで、以下の対応はあくまで「考古学的な痕跡が特に目立つ時期」との緩い対応にすぎない。

縄文時代草創期
約1万6000年前〜
自然への畏れ(の土台)

史実:土器の使用が始まる(世界最古級とされる土器群のひとつ)。定住はまだ本格化しておらず、狩猟・採集が中心。

私のクロニクル:土という自然物に火を通し、意図した形を与える。人間が自然に対して「はたらきかけて意味を与える」という行為そのものの、いちばん早い形がここにあると思う。これは特定の妖怪の起源ではなく、後の時代に「ものに意味を与える」という発想(付喪神つくもがみのような器物きぶつ妖怪も含む)を可能にする、もっと手前の技術的・文化的土台という位置づけにとどめておきたい。

縄文時代早期〜前期
約1万1000〜5500年前
境界への畏れ(の土台)

史実:竪穴住居による定住が広がる。貝塚が各地に形成され、丸木舟による漁撈も行われていた。

私のクロニクル:定住によって「村の中」と「村の外(山・海)」という区分が、生活のうえではっきりし始めた時期だと考える。峠や辻に妖怪が出る、という後世の感覚は、この内と外を分ける習慣が長い時間をかけて育てた土壌の上に立っていると思う。ここでもまだ、それは妖怪ではなく、ただの空間感覚に過ぎない。

縄文時代中期
約5500〜4500年前
水・火への畏れ(の土台)

史実:三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森)に代表される大規模集落が出現。火焔型土器(新潟県・信濃川流域)のような装飾性の高い土器が作られる。

私のクロニクル:火焔型土器の激しい造形は、火や水という制御しきれない自然の力を、なんとか形にして手元に置こうとした試みに見える。集落の規模が大きくなったことで、個人の家では扱いきれない「村全体に関わる災いや福」という考え方が育つ余地も生まれたはずで、これは後の家・共同体単位の信仰(座敷童子のような存在も含む)が育つ、はるか手前の土壌にあたると考える。

縄文時代後期
約4500〜3300年前
死者への畏れ(の土台)

史実:環状列石かんじょうれっせき(ストーンサークル、秋田県大湯環状列石かんじょうれっせきなど)のような祭祀さいし・墓域とみられる遺構が作られる。

私のクロニクル:死者を特別な場所に集める、という発想がはっきり形になった時期。祟る側にも守る側にもなり得るという、霊にまつわる両義的な感覚——後の「人間由来」の妖怪や「神の零落れいらく・信仰由来」の妖怪が、ずっと後になって分かれていくことになる、その手前にある未分化な感覚が、この頃には育っていたのではないかと思う。

縄文時代晩期
約3300〜2800年前
異形への畏れ(の土台)

史実:遮光器土偶しゃこうきどぐう(青森県・亀ヶ岡遺跡)に代表される、目を強調した異形の土偶文化(亀ヶ岡文化かめがおかぶんか)が東日本を中心に発達する。

私のクロニクル:人体を意図的に異形化して造形する、という表現文化がここまではっきりしているのは縄文の中でも特異だと思う。ただし、これは「遮光器土偶しゃこうきどぐうが手の目や鵺の祖先だ」という意味ではまったくない。そうではなく、身体の一部を強調・変形して見せるという発想そのものが、この時代にすでに一つの表現として確立していた、ということ。同じ発想が形を変えながら続いた先に、はるか後世の身体異形の妖怪表現があると考える方が、無理のない見方だと思う。

弥生時代前期
紀元前10世紀ごろ〜(諸説あり)
水への畏れ(の土台)

史実:大陸(朝鮮半島経由)から水田稲作が伝来。板付遺跡(福岡)などに初期の水田跡が見つかっている。稲作開始の年代は、近年の年代測定で紀元前10世紀ごろまで遡るさかのぼるという説と、従来通り紀元前3〜4世紀とする説の両方があり、決着していない。

私のクロニクル:水田という「人が管理する水」が生活の中心になった時期。用水路のような身近な水辺で人や家畜が命を落とす、という水難への恐れは、この頃から積み重なっていったはずだと思う。これも、河童のような特定の水辺の妖怪の起源というより、水辺を恐れ、意味づける文化そのものが育ち始めた土台という位置づけにしておきたい。

弥生時代中期
紀元前後
境界・雷への畏れ(の土台)

史実:銅鐸・銅剣・銅矛などの青銅器が祭祀さいしに用いられる。吉野ヶ里遺跡(佐賀)のような環濠集落・大規模な物見櫓を持つ集落が現れ、階層差(身分差)が明確になる。

私のクロニクル:環濠(村を堀で囲む)という発想は、内と外を地形としてはっきり区切った、境界感覚のわかりやすい到達点だと思う。青銅という人工の金属を「鳴る道具」として祭祀さいしに使い始めたことも、音や光という自然現象を人の手で再現し、それによって何かを呼ぶ、という発想の芽生えとして見ることができると思う。

弥生時代後期
1〜3世紀
見えない力を扱う人間

史実:中国の史書『魏志』倭人伝に、倭国(日本)に邪馬台国やまたいこくという国があり、卑弥呼ひみこという女王が「鬼道きどう」(呪術じゅじゅつ的な力)で政治を行っていたと記録される。

私のクロニクル:ここだけは、それまでの六段階と質が違うと思う。それまでは、自然や異形や死者を「畏れる感覚」の話だった。卑弥呼ひみこの記述で起きているのは、その見えない力を代弁し、専門的に扱う人間という、社会的な役割・構造の誕生。畏れの対象だったものが、特定の人間を介して制御・交渉できるものに変わった、というのがこの段階の意味だと思う。この構造は、後の陰陽道おんみょうどうの制度化や、物の怪もののけを扱う専門家(陰陽師おんみょうじ)の存在に、比較的まっすぐつながっていく。縄文・弥生の中で、もっとも次の時代に直結している一段だと思う。