付喪神は、長い年月を経た器物が変化したもの。室町時代の絵巻『付喪神絵巻』には、百年を経た道具には精霊が宿るという「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす」という考え方が記されている。同絵巻では、煤払いで捨てられた古道具たちが恨みを抱いて妖怪となり、人々を襲ったのち、最後には仏法に帰依して成仏するという筋立てが描かれる。
鳥山石燕はこの発想を大きく展開させ、『百器徒然袋』(1784年)で器物の妖怪を大量に描いた。三味線が化けた三味長老、琵琶の琵琶牧々、瀬戸物の瀬戸大将、木魚の木魚達磨、五徳と猫が合わさった五徳猫、能面の面霊気、古い小袖から手が伸びる小袖の手。いずれも石燕の創作性が強く、古い伝承の記録ではない。
民間で最も知られているのは唐傘お化けだろう。一本足で跳ね、長い舌を出す姿は、お化け屋敷や絵本でおなじみである。ただしこれも古い伝承というより、江戸後期の玩具絵や見世物から広まった造形とされる。
付喪神という考え方の面白いところは、妖怪になる原因が人間の側にあることだと思う。使い込むこと、そして捨てること。どちらも人間の行いである。道具を粗末にするなという教えが、妖怪の形をとって残ったのだと考えると、これはかなり実用的な妖怪である。
この台帳の近現代妖怪で大妖怪と呼んでいるものは、この付喪神と同じ構造で考えている。器物が百年使われて持ち主から独立するのと同じように、人の習慣や考え方も、何十年繰り返されると本人から分離して独立する。器物から生まれるのが付喪神、行為から生まれるのが大妖怪、という対応である。