本所に、盲目の琵琶弾き、芳二という男がいた。名高い芳一という琵琶弾きの弟だという噂があったが、本人はそれを否定も肯定もしなかった。芳二は、兄の名声の陰で、長く自分の芸に自信を持てなかった。
ある晩、身分の高そうな武家の使いが訪れ、屋敷での御前演奏を頼みに来た。芳二が琵琶を弾き始めると、聴衆の拍手も、掛け声も、まったく聞こえてこない。ただ、演奏が終わるたびに、深い溜め息のようなものが、幾つも重なって聞こえた。
芳二は、それでも臆せず、三晩、演奏を続けた。三晩目の終わり、聴衆の一人が、初めて声をかけてきた。「そなたの兄とは違う音だ。それでよい」その声は、芳二がずっと聞きたかった言葉と、不思議なほど、同じ調子をしていた。まるで、心の中で何度も想像していた声そのものが、そこにあったかのようだった。
翌朝、屋敷は跡形もなく消えていたが、芳二の懐には、見覚えのない古い銭が、いくつか残されていた。芳二は、その銭を数えようとしたが、途中でやめた。数えることよりも、あの声の調子を、もう一度確かめたい気持ちの方が、強かったからだ。
芳二はそれ以来、界隈でも名の知れた琵琶弾きになった。