江戸怪談百物語 / 第8夜 / 両国・花火師

花火師

はなびし
灯芯とうしんを一本、消す。

両国の川開きで花火を上げる玉屋の若い花火師、辰吉たつきちには、亡くなった師匠から受け継いだ一つの火薬玉があった。桐箱に納められ、封がしてあり、師匠が生涯で一度も使わなかった玉だという理由も、意味も、辰吉たつきちには長い間分からないまま、夏がいくつも過ぎていった。

使うべきかどうかを迷い続けた年月のあいだ、桐箱は仕事場の奥で、静かに埃をかぶり、辰吉たつきちはその埃を払うたびに、師匠の無言だった晩のことを思い出していた。

ある年の川開き、思い切って玉を舟に積み、いつもと同じ手順で火をつけたとき、夜空に上がった花火は、丸くは開かず、ゆっくりと、人の顔の形になっていった。目元の皺の具合まで、覚えている通りに。眉の上げ方も、少し困ったような表情も。それは、師匠の顔だった。

花火は一瞬で消え、川面の光もすぐに闇に還っていったが、辰吉たつきちの胸の中には、その夜以来、小さなつかえのようなものが、いつまでも残り続けた。

何年か後、師匠の古い知り合いから、辰吉たつきちは初めて聞かされることになった。師匠は若い頃、この玉と同じ配合を試した際、手元が狂って大きな火傷を負い、そばにいた弟弟子を一人、亡くしていたのだという。それ以来、師匠はその配合を二度と使わず、あの玉だけを、誰にも渡さずにしまい込んでいた。

辰吉たつきちは、それを聞いてから、自分が上げてしまったあの晩の花火のことを、以前とは違う重さで思い出すようになったけれど、それでも、仕掛けを試すことをやめなかった。ただ、以前よりずっと、慎重に手を動かすようになった。

夜が明けると、辰吉たつきちは仕事場の掃除から一日を始め、灰を集め、道具を整え、また次の玉の支度に向かう。

その繰り返しの中に、師匠から受け継いだものが、少しずつ形を変えて残っていくのだろうと、辰吉たつきちは、今はそう思っている。

この話について
編者の後書き
文を長く連ね、句点で切らずに読点で繋いでいく、花火の光の余韻に近い流れるような文体にした。短い文を積む前作とは対照的に、一つの感情を長く引き延ばす語りを試みている。
← 前の話第7夜 質屋しちや 次の話 →第9夜 十間店の噂
江戸怪談百物語 全99夜
第1夜文使い 第2夜三味線 第3夜湯屋ゆや 第4夜損料屋 第5夜髪結かみゆいい 第6夜蕎麦そば屋台 第7夜質屋しちや 第8夜花火師今、ここ 第9夜十間店の噂 第10夜花見 第11夜かわたれ 第12夜文字売り 第13夜三人の証言 第14夜絵草紙 第15夜あとを追う男 第16夜借金取り 第17夜祝いの日 第18夜賽の目 第19夜往来切符 第20夜箱の中 第21夜影の分だけ 第22夜夜番 第23夜双子の橋 第24夜最後の客 第25夜百物語のあと 第26夜役者絵 第27夜三つの願い 第28夜聊斎の客 第29夜能面の女 第30夜三つ子の産婆 第31夜忘れ物 第32夜蜘蛛の糸 第33夜永代橋の約束 第34夜影法師の借金 第35夜蔵の中の声 第36夜柳の下の男 第37夜首なし地蔵 第38夜百夜通い 第39夜読めない文 第40夜鏡師の遺言 第41夜羅生門の跡 第42夜変身 第43夜三人姉妹 第44夜狂気の沼 第45夜桶の中の顔 第46夜辻斬りの家 第47夜狐の嫁入り 第48夜虫の音 第49夜千両箱 第50夜消えた花嫁 第51夜耳無し芳一の弟 第52夜蛍の宿 第53夜竈かまどの中の声 第54夜紙人形の恋 第55夜鴉の遺言 第56夜くじの村 第57夜動かない番頭ばんとう 第58夜覚え違いの家庭教師 第59夜寄せ集めの人形 第60夜森の中の疑い 第61夜菊の約束 第62夜葦を刈る女 第63夜双六の果て 第64夜蜃気楼しんきろうの店 第65夜木霊の宿題 第66夜蝸牛の使者 第67夜百物語を辞める男 第68夜かかし問答 第69夜氷売りの影 第70夜蝙蝠問屋 第71夜錠前屋の鍵 第72夜提灯ちょうちんの灯り分け 第73夜蟬の宿替え 第74夜紅葉の便り 第75夜百物語の火 第76夜開かずの間 第77夜竹取の後日 第78夜酒呑みの罠 第79夜反物たんものの行方 第80夜蟻の行列 第81夜三日月の刀 第82夜硯の中の海 第83夜駕籠かごの中の声 第84夜金魚の目 第85夜蝶の遺言 第86夜石の記憶 第87夜三味線堀の月 第88夜蜻蛉の道しるべ 第89夜竹箒の踊り 第90夜縄暖簾のれんの声 第91夜提灯ちょうちんの返し忘れ 第92夜百足の忠告 第93夜鶴の恩返しの後 第94夜百物語の百一話目 第95夜影送り 第96夜九十九の灯 第97夜灯芯とうしんの続き 第98夜宮崎の灯 第99夜最後の灯芯とうしん