表向きの一日。日本橋の老舗、糸屋の一人娘、お里の婚礼の日。店先には紅白の幕が張られ、仲人や親戚が忙しく行き交う。お里は、幾度も花嫁衣装の袖を通し、鏡の前で仕草を確かめる稽古を重ねていた。
鏡の中の一日。婚礼の支度が進む中、差出人の分からない祝いの品が届いた。古い手鏡。裏には、見覚えのない家紋。儀式の直前、お里はその鏡を覗いた。いつもと変わらないはずの顔が、なぜか、少しだけ歳を取ったように見えた。緊張のせいだろうと、鏡を置いた。
表向きの一日、続き。
儀式は滞りなく進んだ。祝いの宴も盛大に開かれ、糸屋の暖簾は、この日一段と輝いて見えた。誰もが、お里の幸せを祝った。
鏡の中の一日、続き。
宴が終わり、片付けをしていた女中が、あの手鏡を見つけて届けに来た。もう一度覗くと、今度は、ずっと年老いた顔が映った。皺の一つひとつまで、はっきりと。驚いて鏡を落としそうになったが、裏の家紋の彫りが、少しだけ欠けただけだった。もう一度確かめると、いつもの顔に戻っていた。
その後、二つの一日は重なっていく。お里はその手鏡を、簞笥の奥深くにしまった。幾年か経ち、子を育て、孫を持つ年になった。ある日、簞笥を整理していたお里は、あの手鏡を見つけた。恐る恐る覗いた。映っていたのは、まさに今のお里自身の顔、皺の一つひとつまで、あの婚礼の晩に見たものと同じだった。
お里は、その顔に向かって、小さく「ご苦労さまでした」と呟いた。誰への言葉なのか、お里自身にも、よく分かっていなかった。祝いの日から始まった歳月が、ようやく一巡りしたのだと、お里は思った。手鏡は、その晩を最後に、簞笥から出されることはなかった。
それ以来、糸屋の女たちは、婚礼の祝いに鏡を贈ることも、贈られることも、どちらも避けるようになっている。