深川の掃除人、佐吉が、ある朝、掃除に使う竹箒が、誰も触れていないのに、少しだけ揺れているのを見た。気にせず仕事を始めると、その日から、箒は、やたらと佐吉の掃除の仕方に、口を出すようになった。
「そこ、もっと丁寧に」箒が動くたびに、そんな注文をつけられているように感じる。佐吉が急いで掃くと、箒はわざと重くなって、佐吉の思うように動いてくれない。「分かったよ、ゆっくりやるよ」佐吉がぼやくと、箒はすっと軽くなった。
佐吉は、この箒が、よほど仕事にこだわりのある性分らしいと悟った。「お前、名前はあるのか」と聞くと、翌朝、掃いたばかりの地面に、小さな丸が一つだけ、綺麗に残っていた。佐吉はそれを、「丸」という名だと受け取ることにした。
使い古して、新しい箒に替える時期が来ても、佐吉は「丸」を捨てられなかった。口うるさいが、仕事の仕上がりは、丸に教わってから、たしかに良くなっていたからである。
息子が「丸」を処分しようとしたとき、佐吉は「あれは、俺の師匠みたいなものだ」と、少し笑って言った。