江戸怪談百物語 / 第89夜 / 深川・掃除人

竹箒の踊り

たけほうきのおどり
灯芯とうしんを一本、消す。

深川の掃除人、佐吉さきちが、ある朝、掃除に使う竹箒が、誰も触れていないのに、少しだけ揺れているのを見た。気にせず仕事を始めると、その日から、箒は、やたらと佐吉さきちの掃除の仕方に、口を出すようになった。

「そこ、もっと丁寧に」箒が動くたびに、そんな注文をつけられているように感じる。佐吉さきちが急いで掃くと、箒はわざと重くなって、佐吉さきちの思うように動いてくれない。「分かったよ、ゆっくりやるよ」佐吉さきちがぼやくと、箒はすっと軽くなった。

佐吉さきちは、この箒が、よほど仕事にこだわりのある性分らしいと悟った。「お前、名前はあるのか」と聞くと、翌朝、掃いたばかりの地面に、小さな丸が一つだけ、綺麗に残っていた。佐吉さきちはそれを、「丸」という名だと受け取ることにした。

使い古して、新しい箒に替える時期が来ても、佐吉さきちは「丸」を捨てられなかった。口うるさいが、仕事の仕上がりは、丸に教わってから、たしかに良くなっていたからである。

息子が「丸」を処分しようとしたとき、佐吉さきちは「あれは、俺の師匠みたいなものだ」と、少し笑って言った。

この話について
編者の後書き
名付けの由来という静かな発見から、口うるさい師匠のような箒との、コミカルな主従関係に変えた。もの言わぬはずの道具が、実は誰よりも仕事にうるさい、という愉快な逆転を主題にしている。
← 前の話第88夜 蜻蛉の道しるべ 次の話 →第90夜 縄暖簾のれんの声
江戸怪談百物語 全99夜
第1夜文使い 第2夜三味線 第3夜湯屋ゆや 第4夜損料屋 第5夜髪結かみゆいい 第6夜蕎麦そば屋台 第7夜質屋しちや 第8夜花火師 第9夜十間店の噂 第10夜花見 第11夜かわたれ 第12夜文字売り 第13夜三人の証言 第14夜絵草紙 第15夜あとを追う男 第16夜借金取り 第17夜祝いの日 第18夜賽の目 第19夜往来切符 第20夜箱の中 第21夜影の分だけ 第22夜夜番 第23夜双子の橋 第24夜最後の客 第25夜百物語のあと 第26夜役者絵 第27夜三つの願い 第28夜聊斎の客 第29夜能面の女 第30夜三つ子の産婆 第31夜忘れ物 第32夜蜘蛛の糸 第33夜永代橋の約束 第34夜影法師の借金 第35夜蔵の中の声 第36夜柳の下の男 第37夜首なし地蔵 第38夜百夜通い 第39夜読めない文 第40夜鏡師の遺言 第41夜羅生門の跡 第42夜変身 第43夜三人姉妹 第44夜狂気の沼 第45夜桶の中の顔 第46夜辻斬りの家 第47夜狐の嫁入り 第48夜虫の音 第49夜千両箱 第50夜消えた花嫁 第51夜耳無し芳一の弟 第52夜蛍の宿 第53夜竈かまどの中の声 第54夜紙人形の恋 第55夜鴉の遺言 第56夜くじの村 第57夜動かない番頭ばんとう 第58夜覚え違いの家庭教師 第59夜寄せ集めの人形 第60夜森の中の疑い 第61夜菊の約束 第62夜葦を刈る女 第63夜双六の果て 第64夜蜃気楼しんきろうの店 第65夜木霊の宿題 第66夜蝸牛の使者 第67夜百物語を辞める男 第68夜かかし問答 第69夜氷売りの影 第70夜蝙蝠問屋 第71夜錠前屋の鍵 第72夜提灯ちょうちんの灯り分け 第73夜蟬の宿替え 第74夜紅葉の便り 第75夜百物語の火 第76夜開かずの間 第77夜竹取の後日 第78夜酒呑みの罠 第79夜反物たんものの行方 第80夜蟻の行列 第81夜三日月の刀 第82夜硯の中の海 第83夜駕籠かごの中の声 第84夜金魚の目 第85夜蝶の遺言 第86夜石の記憶 第87夜三味線堀の月 第88夜蜻蛉の道しるべ 第89夜竹箒の踊り今、ここ 第90夜縄暖簾のれんの声 第91夜提灯ちょうちんの返し忘れ 第92夜百足の忠告 第93夜鶴の恩返しの後 第94夜百物語の百一話目 第95夜影送り 第96夜九十九の灯 第97夜灯芯とうしんの続き 第98夜宮崎の灯 第99夜最後の灯芯とうしん