神田の居酒屋に、毎晩訪れる大酒飲みの客がいた。店主の茂平は、その客がどれだけ飲んでも、決して酔い潰れないことを、少し不思議に思っていた。
ある晩、茂平は試してみた。強い酒を、水で薄めて出したのだ。客は気づかずに飲み続け、やはり酔う様子はなかった。それどころか、薄めた分だけ、いつもより機嫌が良さそうに見えた。
客が帰った後、いつもの席に、飲みかけの盃が一つ残されていた。茂平が確かめると、中身は、ただの水だった。薄めて出した酒ではない。混ぜようのない、澄んだ水だった。
茂平はそれ以来、その客が来るたびに、燗酒とは別に、水を一杯、そっと添えるようになった。客は毎晩、酒より先に、その水を飲み干した。
「なぜ、水も欲しがるのですか」茂平が思い切って尋ねると、客は少し驚いた顔をして、「酒だけでは、喉が渇いたままなのです」と答えた。それ以上は語らなかった。その言葉には、どこか、長い渇きが染みついているように、茂平には聞こえた。
茂平は、それ以上、客の正体を確かめようとはしなくなった。ただ、水を添えるたびに、その渇きが、少しでも和らいでいるといいと、思うようになった。