某月某日。麻布の屋敷に、行儀見習いの教師として入る。他の家より、給金は安い。それゆえ、誰よりも役に立つ教師でなければ、と心に決める。
某月某日。屋敷の奥に、誰も語ろうとしない何かがある。庭の隅に、いつも人影が立っているように見える。子供たちは、庭に向かって、楽しそうに話しかけていることさえある。
某月某日。子供たちが、庭の隅の地面に、幾日もかけて、石で何かの絵を描いているのに気づく。毎日少しずつ描き足された絵は、女の顔の形になっていた。
某月某日。蔵を整理していたところ、古い肖像画を見つける。埃を払って確かめると、それは、子供たちが地面に描いていた顔と、同じ顔だった。主人に尋ねると、子供たちがまだ生まれる前に亡くなった、先の奥方の絵だという。会ったこともない母の顔を、なぜ子供たちが正確に描けたのか、理解できない。
某月某日。ある晩、庭に飛び出し、人影に向かって、大声で「この子たちに近づかないで」と叫ぶ。それは、子供たちのためというより、自分の立場を守りたかっただけかもしれない、と、後になって思う。
某月某日。子供たちが、よそよそしい態度を取るようになる。庭の人影は、それ以来、二度と現れない。
某月某日。自分が守ろうとしていたのが、子供たちだったのか、安く雇われた自分の自負心だったのか、今も分からないままである。