麻布の大身の武家屋敷に、代々「開かずの間」と呼ばれる一室があった。当主が代替わりするたびに、先代から「決して入るな」とだけ言い伝えられる。当代の当主、正之が、好奇心に負けて、こっそりその部屋を覗いてみた。
部屋の中には、ただ一枚の古い鏡が置かれているだけだった。正之は拍子抜けし、鏡を覗いてみた。鏡には、正之自身の顔ではなく、屋敷の歴代の当主たちの顔が、順番に、次々と映って過ぎていった。
最後に映ったのは、まだ見たことのない、若い顔だった。正之は、それを自分の息子の顔だろうと思い、目を凝らした。ふと、その若い顔の左の頬に、小さな痣があることに気づいた。正之自身の左の頬にも、同じ位置に、同じ形の痣がある。
正之は、鏡が映していたのが、未来の息子ではなく、正之自身がまだ知らない、もっと若い頃の父の姿だったのではないかと思い直した。父の顔を、正之は物心つく前の記憶しか持っていない。だが、その痣だけは、はっきりと父から受け継いだと、母から聞いたことがあった。
鏡の中の若い顔が、息子なのか、父なのか、正之にはもう判じがつかなくなった。ただ、その痣を見た瞬間、正之は、この行列がいつから続き、いつまで続くのか、代を数えることに、もう意味を感じなくなっていた。
それ以来、この部屋のことを、息子にも「決して入るな」とだけ言い伝えている。