江戸怪談百物語 / 第95夜 / 本所・葬送そうそうの夜

影送り

かげおくり
灯芯とうしんを一本、消す。

本所で、葬送そうそうの夜、遺族いぞくが、亡くなった者の影を、地面に映して見送るという習いがあった。月明かりの下、棺ひつぎを担ぐ者たちの影が、長く伸びる様子を、遺族いぞくは黙って見つめる。

ある葬送そうそうの晩、遺族いぞくの一人、おとよが、伸びた影の中に、亡くなった夫の影が、一緒に混じって歩いているのを見た。夫は長患いながわずらいの末に亡くなり、最後の数月は、ろくに言葉も交わせなかった。おとよは、影の中の夫の姿だけは、はっきりと若い頃の背格好せかっこうをしていることに気づいた。

月が雲に隠れる、ほんの一瞬。

影が薄くなったその間だけ、夫の影が、おとよの方を向いて、小さく頭を下げるのが見えた。おとよはそれを、誰にも言わず、心の中だけにしまっておいた。

その後、おとよは毎年、同じ月の晩に、同じ場所で、影を見つめる習いを続けている。ある年、月が雲に隠れる、あの一瞬を、また待つようになった。だが、何年経っても、その一瞬は、二度と訪れなかった。おとよは、あの晩、夫があの一度だけ、頭を下げてくれたのだと、今は思っている。

それ以上を望むのは、贅沢なことなのかもしれない。

この話について
編者の後書き
影の歩数を数える仕掛けから、月が雲に隠れる一瞬にだけ見える、お辞儀という一度限りの所作に変えた。数値の一致ではなく、二度と訪れない一瞬という、反復不可能な出来事として描いている。
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江戸怪談百物語 全99夜
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