「いたしかねます」
日本橋の両替商に、忠一という番頭がいた。ある日、主人から、貧乏神が住み着いているという噂のある家への、無理な取り立てを頼まれた忠一は、静かにそう答えた。理由を問われても、忠一はそれ以上、何も語らなかった。
「いたしかねます」
主人は怒ったが、忠一は変わらず、他の仕事はきちんと務め続けた。ただ、その一件だけは、何度言われても、同じ言葉を返した。忠一が長年書き続けてきた帳面を、後に主人が見返してみると、忠一が取り立てを拒んだ家は、これまでに七軒あった。主人が念のため、その七軒の後の様子を調べてみると、七軒とも、断った翌年から、店の格が一段ずつ上がっていた。
「いたしかねます」
逆に、忠一の代わりに他の番頭が取り立てに行った家は、その後、傾く店が多かった。主人は、忠一が何かの力で見抜いているのか、それとも、ただの偶然なのか、判じることができなかった。
「いたしかねます、が」
それ以来、忠一が同じ言葉を言ったときだけは、主人も無理に命じないことにした。忠一が座っていた帳場の隅には、今も、七軒の家の名だけが書かれた、小さな紙が貼られている。誰が貼ったのか、今の主人も知らない。ただ、その紙にはもう一行、忠一の筆で、こう書き添えられている。
「これだけは、続けさせていただきます」