江戸怪談百物語 / 第83夜 / 品川・駕籠かごかき

駕籠かごの中の声

かごのなかのこえ
灯芯とうしんを一本、消す。

えっさ、えっさ。品川の坂を、駕籠かごが登る。伝次と久助きゅうすけ、二人の呼吸が合う。

ある夜、客を乗せて坂を登っていた。えっさ、えっさ。駕籠かごの中から、客の声にしては妙に低い声で、「もう少し、ゆっくり。この子が、揺れて苦しがっています」という声が聞こえた。

えっさ、ゆっくり。

駕籠かごかきは、客の要望通り、歩みを緩めた。坂を登り切ったところで、駕籠かごを降ろし、垂れを開けると、客はすでに眠っていた。声をかけて起こすと、客は「そんなことを言った覚えはない」と不思議そうな顔をした。年配の久助きゅうすけが、その言葉を聞いて、顔色を変えた。「産女だ」

えっさ、増える重さ。

伝次は、日頃から、駕籠かごに乗せた客の重さを、天秤棒のしなり具合で、おおよそ言い当てることができた。あの晩、担ぎながら、伝次は妙な軽い重さの増減を感じていた。後になって、いつも使う天秤棒に目印をつけ、同じ体格の客を乗せて、重さを測り直してみた。あの晩感じた増減は、生まれたばかりの赤子一人分の重さと、ちょうど同じだった。

えっさ、えっさ、今夜も。

伝次と久助きゅうすけは、それ以来、坂道で「ゆっくり」という声が聞こえたときは、客が眠っていても、必ずそれに従うようにしている。久助きゅうすけ自身、若い頃、産褥で妻子を亡くしていた。

あの重さの分だけ、誰かの子を、無事に運んでやれたのだと、久助きゅうすけは今も、密かに思っている。

この話について
編者の後書き
駕籠かごかきの掛け声「えっさ、えっさ」を各段落の冒頭に置き、担ぐ呼吸そのものを文体の拍にした構成にした。労働の律動と、産女の伝承という異界いかいの気配を、同じ拍の中で交差させている。
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江戸怪談百物語 全99夜
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