江戸怪談百物語 / 第32夜 / 本所・機屋

蜘蛛の糸

くものいと
灯芯とうしんを一本、消す。

本所で機を織る仕事をしているお絹という女がいた。お絹には、幼くして機屋に嫁ぎ、厳しい姑に仕えた過去があった。ある夜、機を織っていると、天井の隅から、一本の細い糸が垂れてきた。翌晩も、同じ場所から糸が垂れてきた。お絹はふと、その糸を手に取ってみた。触れた瞬間、お絹の頭の中に、まったく知らない女の記憶が流れ込んできた。若くして機屋に嫁ぎ、厳しい姑に仕え、報われぬまま病で死んだ女の一生だった。

お絹は、その記憶の中に、一つだけ、はっきりと覚えている場面があった。女が、最後の力を振り絞って、機に向かい、一言も告げずに、何かを織ろうとしていた場面だった。何を織ろうとしていたのか、記憶はそこで途切れていた。

お絹はその糸を、自分の織る布に、そっと織り込んでみることにした。糸は布の中に馴染み、誰にも分からない一本になった。その晩から、糸は二度と垂れてこなくなった。

お絹の織った布は、後にある家の嫁入り道具として売られていった。買った家の者は、その布に、なぜか特別な温かみを感じると言った。お絹は、それを聞いて、あの女が最後に織ろうとしていたものが、誰かを祝う布だったのかもしれないと思うようになった。

織り終えられなかった想いを、自分の手で、代わりに終わらせてやれたのだと、お絹は感じている。

この話について
編者の後書き
糸の長さを測る仕掛けから、記憶の中で途切れていた「織り終えられなかった場面」を、お絹自身が完成させるという行為に変えた。数値の一致ではなく、未完の記憶を引き継いで終わらせる、という物語的な補完で結んでいる。
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江戸怪談百物語 全99夜
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