汲んだ量、十分。担ぎ着いた量、九分。差、一分。一杯分、足りぬ。
神田で水を売り歩く仕事をしている男、太吉が、ある夏の日、井戸から汲んだ水桶を担いで歩いていると、水面に、自分の顔ではない顔が映っているのに気づいた。太吉には、幼い頃に生き別れた姉がいた。太吉が水面に見た顔は、その姉の面影に、どこか似ているような気がした。
差、毎回確認。
太吉は、担いで歩くたびに、桶の水の量を、汲んだ時の量と、目的地に着いた時の量とで、比べてみるようになった。長い道のりを歩いても、水はほとんど減らないはずだった。ところが、あの顔が映った日だけ、桶の水は、いつもより一杯分だけ、余分に減っていた。
差、説明されず。
太吉は、水面の女の顔に、そっと詫びを言うようになった。「すみません、これも仕事なので。姉さんに、似ているものですから」ある客の家で水を注いだとき、その家の年老いた女中が、桶を覗き込んで、「懐かしい顔だねえ」と呟いた。それが、若い頃に亡くなった自分の姉の顔だと、女中は言った。太吉は、それが自分の探していた姉ではなかったことに、少し落胆したが、それ以来、その女中の家にだけ、他よりも多めに水を運ぶようになった。
あの一杯分の減りは、今も、太吉には説明がつかないままである。