木霊は、なぜ声を真似すだけなのだろう。
秩父の山間の寺子屋で、子供たちが、先生にそう尋ねた。先生は、「山の精が、こちらの声を真似て返しているだけだ」と教えた。それなら、なぜ、真似るだけなのだろう。子供たちには、まだ分からなかった。
子供の一人、太一が、山に向かって「先生は嘘つきだ」と叫んでみた。返ってきた木霊は、「先生は、正しい」という、まったく違う言葉だった。それなら、木霊は、いつ、真似るのをやめるのだろう。
太一はその言葉を、帳面の端に書き留めた。何年か後、旅の僧が寺子屋に立ち寄った際、太一はその帳面を見せた。僧は驚いた顔をした。「これは、ある古い経文の一節と、同じ言葉です。あなたの先生は、若い頃、修行僧だったことがあるのでは」
それなら、山は、誰の声を、本当は真似ているのだろう。太一が先生に確かめると、先生は少し驚いた顔をして、若い頃、山にこもって修行していた時期があったことを認めた。
太一は、あの木霊が、山の精ではなく、先生自身が若い頃、この山に向かって唱え続けた経文の言葉を、山がそのまま覚えていて、返してくれたのではないかと思うようになった。それなら、山は、いつまで、その言葉を覚えていてくれるのだろう。
その問いだけは、今も、誰にも答えられないままである。