江戸怪談百物語 / 第9夜 / 十間店・小間物問屋

十間店の噂

じっけんだなのうわさ
灯芯とうしんを一本、消す。

十間店に、小間物を商う越後屋という店があった。主人の吉兵衛きちべえは、品物の良さより、噂の作り方に長けた男だった。新しい紅を売り出すときは、まず近所の女房にょうぼうたちに小遣いを渡し、「あの店の紅は、つけると三日は色が落ちない」という噂を、井戸端から流させることから始めた。

ある年、吉兵衛きちべえは新しい白粉を売り出すにあたって、いつも通り噂を仕込んだ。「肌の艶が三日保つ」という、ごく普通のものだった。だが、その白粉には、別の噂が、いつの間にか勝手についてまわるようになった。「あの白粉をつけた女は、鏡の中でだけ、少し歳を取って見える」という噂だった。

出処を探した。仕込んだ女房にょうぼうたちに聞いても、誰も知らないと言う。得意先の女たちに探りを入れても、皆どこかで聞いた、というだけで、最初に言い出した者が誰なのか、分からなかった。噂は、幸い売り上げには悪い影響を与えなかった。むしろ、面白がって試しに買う客もいた。

自分が仕込む噂には、必ず狙いがある。誰に、どこで、どう言わせるか、すべて筋道を立てて考えてから流す。だが、この噂には、そういう筋道が見えない。狙いもなく、ただ広がっているだけだ。噂というものが、仕込んだ人間の手を離れた後、どこまで一人で歩いていくものなのか、吉兵衛きちべえは初めて空恐ろしく感じた。

しばらく経って、思いがけない話を耳にした。あの白粉を熱心に使っていた得意先の女が、急に老け込んだように見えると評判になり、それから間もなく、床に臥せったまま亡くなったというのだ。死因は流行り病だとされたが、近所では、あの白粉のせいだと囁く者もいた。

それでも吉兵衛きちべえは商いをやめなかった。噂を仕込むことも、やめなかった。ただ、それ以来、噂を仕込むときには、必ず「これは、いつか自分の手を離れる」という前提で仕込むようになった。噂は、種を蒔く畑の作物のようなもので、育ってしまえば、蒔いた者の手には戻らない。

それが、吉兵衛きちべえが長い商いの末に学んだ、唯一のことだった。

この話について
編者の後書き
仕込まれた噂と、出処不明の噂という二つの流れを、対にして進める構成にした。商いの手管という即物的な話が、最後に空恐ろしさへ転じる落差を、あえて説明を足さずに残している。
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江戸怪談百物語 全99夜
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