十間店に、小間物を商う越後屋という店があった。主人の吉兵衛は、品物の良さより、噂の作り方に長けた男だった。新しい紅を売り出すときは、まず近所の女房たちに小遣いを渡し、「あの店の紅は、つけると三日は色が落ちない」という噂を、井戸端から流させることから始めた。
ある年、吉兵衛は新しい白粉を売り出すにあたって、いつも通り噂を仕込んだ。「肌の艶が三日保つ」という、ごく普通のものだった。だが、その白粉には、別の噂が、いつの間にか勝手についてまわるようになった。「あの白粉をつけた女は、鏡の中でだけ、少し歳を取って見える」という噂だった。
出処を探した。仕込んだ女房たちに聞いても、誰も知らないと言う。得意先の女たちに探りを入れても、皆どこかで聞いた、というだけで、最初に言い出した者が誰なのか、分からなかった。噂は、幸い売り上げには悪い影響を与えなかった。むしろ、面白がって試しに買う客もいた。
自分が仕込む噂には、必ず狙いがある。誰に、どこで、どう言わせるか、すべて筋道を立てて考えてから流す。だが、この噂には、そういう筋道が見えない。狙いもなく、ただ広がっているだけだ。噂というものが、仕込んだ人間の手を離れた後、どこまで一人で歩いていくものなのか、吉兵衛は初めて空恐ろしく感じた。
しばらく経って、思いがけない話を耳にした。あの白粉を熱心に使っていた得意先の女が、急に老け込んだように見えると評判になり、それから間もなく、床に臥せったまま亡くなったというのだ。死因は流行り病だとされたが、近所では、あの白粉のせいだと囁く者もいた。
それでも吉兵衛は商いをやめなかった。噂を仕込むことも、やめなかった。ただ、それ以来、噂を仕込むときには、必ず「これは、いつか自分の手を離れる」という前提で仕込むようになった。噂は、種を蒔く畑の作物のようなもので、育ってしまえば、蒔いた者の手には戻らない。
それが、吉兵衛が長い商いの末に学んだ、唯一のことだった。