本所のはずれ、焼け跡に、小さな花が咲いていた。半次は、通りかかるたびに、そこで足を緩める。理由は、自分でもうまく言えない。
半次は神田の飛脚だ。腕より、足の速さで名を売った。ある晩、五つを過ぎた頃、店の裏口を、見覚えのない年配の男が叩いた。文を一つ、届けてほしいという。宛先は本所のはずれ、番地だけ。屋号も名もない。急ぎかと聞くと、男は「今夜のうちに」と言うだけで、路地の暗がりに消えた。
雨の匂いの中、両国橋を渡った。番地の家には、たしかに灯りが点いていた。年老いた女が出て、文を受け取り、幾度も頭を下げた。「長らく、お待ちしておりました」――長らく。急ぎと言われて来たのに。女は懐から、重い巾着を出した。
橋の上で確かめた銭は、寛永より前、今川の頃のものだった。両替商の番頭は、眉をひそめた。「今どき、これを持っている者は、まずおりません」
数日後、もう一度、あの番地を訪ねた。家はなかった。黒く炭になった柱と、草だけがあった。二十年前の大火で焼け、それきり誰も住んでいないという。届けた文の中身も、女が何者だったのかも、確かめる術はない。ただ、頭を下げたその顔だけは、今も覚えている。
それからしばらくして、酒の席で、年配の飛脚仲間にこの話をした。仲間は静かに言った。「そういう届け物は、たまにある」何十年もこの仕事をしていると、届け先がもうこの世にない、ということが、まれにあるのだという。「届けたものが、向こうに着けばそれでいい。こっちが気にすることじゃあねえ」
数年後、店の帳面倉で、古い名簿を整理していた。表紙の擦れた帳面に、「半次」という名の飛脚が、五十年ほど前、本所のはずれへの届け物を最後に、行方知れずになったという記録が残っていた。年恰好は、今の自分と、ほとんど変わらなかった。
その日から、半次は、自分の影を、以前より気にするようになった。