江戸怪談百物語 / 第22夜 / 本所・木戸番きどばん

夜番

よばん
灯芯とうしんを一本、消す。

木戸きどを閉める。夜回りよまわりに出る。「火の用心」拍子木を鳴らす。平助へいすけの毎晩は、それだけだ。

もう何十年も、同じことをしている。町のことは、隅々まで知り尽くしているつもりだった。若い頃から木戸番きどばんを務め、町内の顔役や商家の主人たちからも、平助へいすけの顔と声だけは、誰もが知っている。拍子木の音は、この町の夜そのものだった。

ある晩、いつも通らない裏路地から、物音がした。何かを引きずる、重い音。提灯ちょうちんを提げて、そちらへ向かう。

蔵の裏手。小さな明かり。誰かが座り込んで、何かをしきりに動かしている。

「何をしておられる」

顔を上げたのは、老いた女だった。「探しております」それ以上は、答えない。

翌晩も、同じ場所。

同じ女。今度は、腰を据えて、探し物を手伝おうとした。何十年も前に、この裏路地で亡くした子供を探している、と女は言う。この裏路地の古い出来事を、平助へいすけは思い出そうとしたが、何も心当たりがない。

幾晩も、手伝った。

何も、見つからない。

ある晩、平助へいすけは気づく。

この裏路地が、この町のどこにも属していない場所であることに。何十年も歩いてきたはずの町の地図の中に、この路地は、どうしても見つけられない。

それ以来、近づかないことにした。それでも、時折、夜回りよまわりの途中、ふと自分がその路地の入り口に立っていることに気づく晩がある。そのたびに、木戸きどの方へ足を向け直す。

跡を継いだ若い木戸番きどばんには、町の地図を教えた。この裏路地のことだけは、どうしても教えられなかった。「あすこには、行かんでいい」それだけを言い残して、平助へいすけは木戸番きどばんの仕事を退いた。

墓は、本所の小さな寺にある。孫が、時折訪れる。線香せんこうを上げながら、裏路地のことを、心の中で問いかけてみることがある。返事はない。それでも、墓の前に立つと、なぜか少しだけ、気持ちが落ち着く。

裏路地のことまで伝えるかどうかは、まだ決めていない。祖父の最後の言葉の重さを、孫はまだ、うまく受け止めきれていない。

ただ、いつか自分にも子ができたら、あの路地の前だけは、一緒に通らないようにしようと、密かに決めている。

この話について
編者の後書き
短い文で夜回りよまわりの所作を刻み、体感に近い呼吸で語る文体にした。長く説明する部分を減らし、動作の連続で不安を積み上げる構成を試みている。
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江戸怪談百物語 全99夜
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