江戸怪談百物語 / 第4夜 / 本所・損料屋

損料屋

そんりょうや
灯芯とうしんを一本、消す。

本所に、損料屋があった。主人は重蔵じゅうぞう。布団、着物、鍋釜。銭を取って貸す。それが商いだ。

蔵の隅に、一枚の布団があった。誰も借りたがらない。悪い品ではない。ただ、湿っていた。人が今しがた寝たばかりのように、ほのかに温かい。畳んでも、次に出せば、また同じだけ温かい。

重蔵じゅうぞうは、それを貸すのをやめた。理由は分からない。ただ、手放してはいけない気がした。

ある年の底冷えする晩。困った様子の男が来た。今夜だけでいい、と言う。頬がこけ、着物は薄い。重蔵じゅうぞうは、思い切って、あの布団を出した。

男は幾度も頭を下げた。震える手で、銭を払った。夜道を遠ざかる提灯ちょうちんの灯りが、いつまでも心に残った。

翌朝。男は布団を返しに来た。「久しぶりに、あたたかい夜でございました」それだけを言って、帰っていった。

蔵に戻して、気づいた。

布団は、もう湿っていなかった。ただの、乾いた軽い布団だった。

重蔵じゅうぞうは、それ以来、この布団を普通に貸すようになった。誰も、あの男が何者だったのか、聞かなかった。名も、住まいも。

損料屋という商いは、誰のものでもない物を、誰かのために回す仕事だ。あの布団も、長い間、誰かがそれを使うのを、ただ待っていた。使われて、初めて、物として役目を終えることができたのだろう。

重蔵じゅうぞうは、蔵の中の他の品を、時折そんな目で見るようになった。動かないまま棚に置かれている品を見ると、早く誰かに借りてもらいたい、と思うようになった。この一件があってからのことだ。

蔵の帳面ちょうめんを見直す折、重蔵じゅうぞうは、古い品々を、一つひとつ手に取って確かめるようになった。誰も借りない品にも、由来がある。ある鍋は、火事で焼け出された家族が、最初に借りたものだった。ある行灯あんどんは、長患いながわずらいの病人のために、夜通し借りられ続けたものだった。重蔵じゅうぞうは、その由来を、帳面ちょうめんの端に、小さく書き添えるようになった。

物には、貸し借りの数だけ、覚えていることがあるのかもしれない。重蔵じゅうぞうは、そう思うようになっている。

半月ほど経った頃。重蔵じゅうぞうは本所の自身番じしんばんから、思いがけない知らせを受けた。あの晩、布団を借りに来た男とよく似た風体の者が、橋の下で凍え死んでいるのが見つかったという。亡くなっていたのは、まさにあの晩のことらしい。

だとすれば、翌朝布団を返しに来て、頭を下げたのは、いったい誰だったのか。

重蔵じゅうぞうは、それ以上、確かめる気になれなかった。

ただ、それからは、あの布団を貸すときだけ、少し丁寧に手を合わせるようになった。

この話について
編者の後書き
文を極端に短く切り、体言止めを多用して、淡々とした帳面ちょうめんの記録のような硬い調子に変えた。感情語をほとんど使わず、事実の並びだけで、静かな怖さを作る文体を試みている。
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江戸怪談百物語 全99夜
第1夜文使い 第2夜三味線 第3夜湯屋ゆや 第4夜損料屋今、ここ 第5夜髪結かみゆいい 第6夜蕎麦そば屋台 第7夜質屋しちや 第8夜花火師 第9夜十間店の噂 第10夜花見 第11夜かわたれ 第12夜文字売り 第13夜三人の証言 第14夜絵草紙 第15夜あとを追う男 第16夜借金取り 第17夜祝いの日 第18夜賽の目 第19夜往来切符 第20夜箱の中 第21夜影の分だけ 第22夜夜番 第23夜双子の橋 第24夜最後の客 第25夜百物語のあと 第26夜役者絵 第27夜三つの願い 第28夜聊斎の客 第29夜能面の女 第30夜三つ子の産婆 第31夜忘れ物 第32夜蜘蛛の糸 第33夜永代橋の約束 第34夜影法師の借金 第35夜蔵の中の声 第36夜柳の下の男 第37夜首なし地蔵 第38夜百夜通い 第39夜読めない文 第40夜鏡師の遺言 第41夜羅生門の跡 第42夜変身 第43夜三人姉妹 第44夜狂気の沼 第45夜桶の中の顔 第46夜辻斬りの家 第47夜狐の嫁入り 第48夜虫の音 第49夜千両箱 第50夜消えた花嫁 第51夜耳無し芳一の弟 第52夜蛍の宿 第53夜竈かまどの中の声 第54夜紙人形の恋 第55夜鴉の遺言 第56夜くじの村 第57夜動かない番頭ばんとう 第58夜覚え違いの家庭教師 第59夜寄せ集めの人形 第60夜森の中の疑い 第61夜菊の約束 第62夜葦を刈る女 第63夜双六の果て 第64夜蜃気楼しんきろうの店 第65夜木霊の宿題 第66夜蝸牛の使者 第67夜百物語を辞める男 第68夜かかし問答 第69夜氷売りの影 第70夜蝙蝠問屋 第71夜錠前屋の鍵 第72夜提灯ちょうちんの灯り分け 第73夜蟬の宿替え 第74夜紅葉の便り 第75夜百物語の火 第76夜開かずの間 第77夜竹取の後日 第78夜酒呑みの罠 第79夜反物たんものの行方 第80夜蟻の行列 第81夜三日月の刀 第82夜硯の中の海 第83夜駕籠かごの中の声 第84夜金魚の目 第85夜蝶の遺言 第86夜石の記憶 第87夜三味線堀の月 第88夜蜻蛉の道しるべ 第89夜竹箒の踊り 第90夜縄暖簾のれんの声 第91夜提灯ちょうちんの返し忘れ 第92夜百足の忠告 第93夜鶴の恩返しの後 第94夜百物語の百一話目 第95夜影送り 第96夜九十九の灯 第97夜灯芯とうしんの続き 第98夜宮崎の灯 第99夜最後の灯芯とうしん