伊勢屋の神棚には、今も一本の懐剃刀が供えられている。誰も、それを流そうとは言わない。代が変わっても、そのしきたりだけは、変わらずに続いている。
なぜか。話は、蔵の奥から始まる。
日本橋の質屋、伊勢屋の蔵の奥に、誰も流さない品が一つあった。古い懐剃刀。鞘には控えめな彫りが入っている。預けたのは名も知れない男で、流し料の期限が過ぎても取りに来ず、そのまま姿を消した。
主人の伝右衛門は、それを売ることも、他の客に流すこともせず、蔵の隅に、他の質草とは少し離してしまい続けた。理由は、自分でもよく分からない。ただ、手放してはいけない、という気がしていた。
ある晩、蔵を見回っていた小僧が、剃刀の入った桐の箱から、しゃりり、しゃりり、と研ぐような音がすると言い出した。伝右衛門は、最初取り合わなかった。だが、別の晩、自分でも同じ音を聞いた。箱を開けても、剃刀はただそこにあるだけだった。
伝右衛門は、剃刀を蔵から出し、神棚に供えた。それ以来、音はしなくなった。
だが、時折、供えられた剃刀を見上げるたびに、伝右衛門は考えてしまう。預けた男が、どんな事情でこれを預け、なぜ二度と取りに来なかったのか。使いさしの剃刀ひとつに、その男の日々の暮らしのすべてが、なぜか詰まっているような気がしてくる。
何年か後、伝右衛門は、古い知り合いの目明かしから、思いがけない話を聞いた。あの剃刀を預けた男とおぼしき人相の者が、預けたすぐ後、近くの町で人を傷つけて姿を消したという届けが、当時出ていたという。
確かなことかどうかは分からない。それでも、伝右衛門は、神棚に手を合わせるときの気持ちが、以前とは少し変わってしまった。それでも、剃刀を粗末に扱う気にはならなかった。むしろ、以前より丁寧に、少し距離を置いて、供え続けるようになった。
だから、今も、神棚には剃刀がある。息子には、「そういうものだ」とだけ言い残した。
それ以上の説明は、伝右衛門自身にもできなかった。