気温、高い日。影、長い。翌日、客の声。「長持ちしましたよ」
日本橋で氷を売る商人、辰造が、ある夏の炎天下、あまりの暑さに、自分の影だけが、涼しい場所を探して動いているような感覚を覚えた。ある日、辰造が氷を切り分けていると、影が、氷の塊の上に、いつもより長く伸びて映った。それ以来、暑い日には、必ず影に向かって、氷の欠片を一つ、置いてやるようになった。
気温、記録。
辰造は、几帳面な男で、影が長く伸びた日と、その日の売れ行きを、帳面に付けるようになった。数年分の帳面を見返して、辰造は妙なことに気づいた。影が長く伸びた日は、必ずしも売れ行きの良い日ではなかった。むしろ、そうした日に限って、客から「今日の氷は、いつもより長持ちしましたよ」という声を、よく聞いていた。
気温、解釈。
影が伸びるのは、氷がよく溶けずに済む日、つまり、辰造自身がまだ知らない、涼しさの兆しがある日だったのだ。辰造は、それ以来、影が長く伸びた日には、氷の切り方を、少し大きめに変えるようになった。客はその理由を知らないまま、辰造の氷を、年々贔屓にするようになった。
辰造は、影に分けてやった氷のおかげで、自分の商売がうまくいっているのだと、今も思っている。