江戸怪談百物語 / 第16夜 / 神田・掛け取り

借金取り

しゃっきんとり
灯芯とうしんを一本、消す。

帳面ちょうめんにはこうある。「一件、取り立て不能。相手先不明。賭場、旧記帳による」

神田で掛け取りを稼業にする伝八でんぱちは、その筋の中でも、取り立ての厳しさで知られていた。相手がどれほど言い訳を並べても、決して手を緩めず、必ず何かを取って帰る。それだけに、取り立てられない借金というのは、伝八でんぱちにとって、ひどく癪に障る存在だった。

帳面ちょうめんには書けないことも、ある。

伝八でんぱちはその帳面ちょうめんを、面白半分に持ち歩いていた。ある晩、賭場の帰り道で、身なりの整った男に声をかけられた。「その帳面ちょうめん、貸してもらえないか」渡すと、男は静かに笑った。「これは、俺の名だ」

案内された先は、古い空き寺。

男は懐から重い巾着を取り出し、伝八でんぱちに手渡した。「これで、貸しは終わりだ」巾着を確かめようとした瞬間、男の顔がふと歳を取ったように見えた。銭の重さに気を取られて、深く考えなかった。

翌朝。中身は、古い賭場の駒札だった。木の駒。今では何の価値もない。あの空き寺は、荒れ果てて、誰も住んでいなかった。

賭場の古い顔役に尋ねた。「ああ、それはもう、五十年も前の借金だ。借主は、返せずに首をくくったと聞いている」

伝八でんぱちは、あの晩渡された巾着を、もう一度確かめた。木の駒札の底に、小さく彫られた文字。伝八でんぱち自身の名だった。

――俺は、いつか、あの空き寺で誰かに帳面ちょうめんを渡す番になるのか。

その夜から、伝八でんぱちは、そのことを考えずにはいられなくなった。伝八でんぱちの女房にょうぼうは、夫がそれ以来、取り立ての仕事に、以前ほどの厳しさを見せなくなったことに気づいていた。手加減をするようになったわけではない。

ただ、相手が本当に困り果てている様子を見ると、以前よりも少しだけ、長く待ってやるようになっていた。

この話について
編者の後書き
帳面ちょうめんの記録口調と、伝八でんぱち自身の心の声(傍点なしの一人称的独白)を交差させる構成にした。取り立て屋という職業の即物性と、彼の内面の恐れとの落差を、文体で示している。
← 前の話第15夜 あとを追う男 次の話 →第17夜 祝いの日
江戸怪談百物語 全99夜
第1夜文使い 第2夜三味線 第3夜湯屋ゆや 第4夜損料屋 第5夜髪結かみゆいい 第6夜蕎麦そば屋台 第7夜質屋しちや 第8夜花火師 第9夜十間店の噂 第10夜花見 第11夜かわたれ 第12夜文字売り 第13夜三人の証言 第14夜絵草紙 第15夜あとを追う男 第16夜借金取り今、ここ 第17夜祝いの日 第18夜賽の目 第19夜往来切符 第20夜箱の中 第21夜影の分だけ 第22夜夜番 第23夜双子の橋 第24夜最後の客 第25夜百物語のあと 第26夜役者絵 第27夜三つの願い 第28夜聊斎の客 第29夜能面の女 第30夜三つ子の産婆 第31夜忘れ物 第32夜蜘蛛の糸 第33夜永代橋の約束 第34夜影法師の借金 第35夜蔵の中の声 第36夜柳の下の男 第37夜首なし地蔵 第38夜百夜通い 第39夜読めない文 第40夜鏡師の遺言 第41夜羅生門の跡 第42夜変身 第43夜三人姉妹 第44夜狂気の沼 第45夜桶の中の顔 第46夜辻斬りの家 第47夜狐の嫁入り 第48夜虫の音 第49夜千両箱 第50夜消えた花嫁 第51夜耳無し芳一の弟 第52夜蛍の宿 第53夜竈かまどの中の声 第54夜紙人形の恋 第55夜鴉の遺言 第56夜くじの村 第57夜動かない番頭ばんとう 第58夜覚え違いの家庭教師 第59夜寄せ集めの人形 第60夜森の中の疑い 第61夜菊の約束 第62夜葦を刈る女 第63夜双六の果て 第64夜蜃気楼しんきろうの店 第65夜木霊の宿題 第66夜蝸牛の使者 第67夜百物語を辞める男 第68夜かかし問答 第69夜氷売りの影 第70夜蝙蝠問屋 第71夜錠前屋の鍵 第72夜提灯ちょうちんの灯り分け 第73夜蟬の宿替え 第74夜紅葉の便り 第75夜百物語の火 第76夜開かずの間 第77夜竹取の後日 第78夜酒呑みの罠 第79夜反物たんものの行方 第80夜蟻の行列 第81夜三日月の刀 第82夜硯の中の海 第83夜駕籠かごの中の声 第84夜金魚の目 第85夜蝶の遺言 第86夜石の記憶 第87夜三味線堀の月 第88夜蜻蛉の道しるべ 第89夜竹箒の踊り 第90夜縄暖簾のれんの声 第91夜提灯ちょうちんの返し忘れ 第92夜百足の忠告 第93夜鶴の恩返しの後 第94夜百物語の百一話目 第95夜影送り 第96夜九十九の灯 第97夜灯芯とうしんの続き 第98夜宮崎の灯 第99夜最後の灯芯とうしん