江戸怪談百物語 / 第33夜 / 深川・永代橋

永代橋の約束

えいたいばしのやくそく
灯芯とうしんを一本、消す。

深川の永代橋のたもとで、幼い頃から許嫁の約束を交わした男女がいた。男は商いのため、長崎まで幾年もの旅に出ることになり、橋の上で「必ず、この橋で待っている」と約束を交わして別れた。

女は、年老いた母を看取り、家業を一人で守りながら、それでも毎年、約束の日には橋のたもとに立ち続けた。二十年目のその日、橋の向こうから、一人の男が歩いてくるのが見えた。それは、旅立った男の息子だった。父はすでに長崎で亡くなっていたが、死ぬ前に、この橋で待つ女に、必ず詫びを伝えてくれと言い残したという。

女はその場に座り込んだ。息子が、父の遺した文を渡した。文の墨は、ところどころ薄く、滲んでいた。息子が言うには、父は文を書くたびに、必ず一度、書き終えたものを読み返してから、封をしていたという。その滲みは、書いたその場でついたものではなく、後になって、何度も読み返された跡だった。

女は、その滲みの箇所を、指でそっとなぞってみた。ちょうど、「待っている」という一語のあたりに、滲みが集まっていた。父は、長崎で、幾度も自分の文を読み返し、その一語の上で、指を止めていたのだろう。女は、男が本当に来なかったわけではなく、来られないまま、その一語だけを、何度も確かめ続けていたことを知った。

それからも、女は毎年、約束の日に橋のたもとに立ち続けた。

橋を渡る人々は、いつも同じ場所に立つ老女を、特に気にすることもなく、通り過ぎていく。

この話について
編者の後書き
待ち続ける主題に、文に記された日付を数える仕掛けから、墨の滲みが特定の一語に集中しているという、触れて確かめる仕掛けに変えた。数字の記録ではなく、指でなぞるという行為で、男の未練を発見させている。
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江戸怪談百物語 全99夜
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