水鉢を覗いてみるといい。金魚の斑が、どんな形をしているか、確かめてみるといい。
本所で金魚を売り歩く行商人、清吉が、ある一匹の金魚だけ、どうしても売れずに残ってしまった。その金魚は、清吉の顔を、いつもじっと見つめてくるのだった。目が合うと、清吉は、なぜか値を下げる気になれなかった。清吉には身寄りがなく、この金魚だけが、毎日、家で自分を待っている唯一の存在になった。
金魚は、それから何年も、清吉のもとで生き続けた。清吉が年老いて、行商の仕事を辞めた後も、金魚は水鉢の中で、変わらず彼を見つめ続けている。
もう一度、水鉢を覗いてみるといい。斑の模様が、少しずつ、形を変えているのが分かるはずだ。若い頃は丸かった斑が、年々、崩れて、伸びていた。清吉は、その斑の変化を、自分の背中の古い傷跡と、並べて見てみた。斑の形は、清吉自身の傷跡と、驚くほど似た形に変わっていた。
清吉は、この金魚が、自分の傷を、少しずつ写し取っているのではないかと思うようになった。買い手のつかなかった金魚が、清吉と同じ形の傷を負っていく代わりに、清吉自身の痛みを、少しだけ引き受けてくれているのかもしれない。
近所の者たちは、清吉が金魚に向かって、一日の出来事を、静かに話しかけている様子を、時々見かけるという。