一頁目。ある貸本屋を舞台にした話が始まる。店の様子、並んでいる本の題名、主人の顔つき。丸屋そのものとしか思えない描かれ方だった。
両国の貸本屋、丸屋に、その一冊があった。表紙には題もない。客の一人が、それを面白がって借りていったが、数日後、真っ青な顔で戻ってきた。「あの本の中に、あの本を読んでいる客が描かれている場面があった。よく見たら、その客の顔が、私の顔だった」
主人はその頁を確かめた。たしかに、絵草紙を読んでいる客の絵があった。顔はぼんやりとして、はっきりとは分からない。
その晩、主人は自分でも読んでみた。ある頁で、手が止まった。行灯の灯りの下で、この絵草紙を読んでいる主人自身の姿。次の頁には、驚いた顔でその絵を見つめている主人の姿が、また描かれていた。さらに次の頁にも、同じように驚く主人の姿が、少しずつ違う角度で描かれ続けていた。
本を閉じることができなかった。閉じれば、この続きがどうなるのか、確かめられなくなる気がしたからだ。頁をめくるごとに、絵の中の主人は、より濃く、より詳しく描かれていく。着物の柄、手の皺、額の汗の一滴まで。
夜が明ける頃、とうとう本を閉じた。それ以上、頁をめくる気力がなかった。翌朝、その絵草紙を、貸し出しの品書きから外した。二度と客に貸さないことにした。
それでも、店じまいの後、あの絵草紙が置かれた棚の前で、しばらく立ち止まる癖がついた。開くつもりはない。ただ、その本がそこにあることを、確かめずにはいられない。丸屋の軒先には、今日も、貸し出しを待つ本が、静かに積まれている。
一人娘が、いつかこの店を継ぐと言い出した日、主人は初めて、あの本のことを話そうかと迷った。
結局、その日は何も言えなかった。