江戸怪談百物語 / 第14夜 / 両国・貸本屋

絵草紙

えぐさし
灯芯とうしんを一本、消す。

一頁目。ある貸本屋を舞台にした話が始まる。店の様子、並んでいる本の題名、主人の顔つき。丸屋そのものとしか思えない描かれ方だった。

両国の貸本屋、丸屋に、その一冊があった。表紙には題もない。客の一人が、それを面白がって借りていったが、数日後、真っ青な顔で戻ってきた。「あの本の中に、あの本を読んでいる客が描かれている場面があった。よく見たら、その客の顔が、私の顔だった」

主人はその頁を確かめた。たしかに、絵草紙を読んでいる客の絵があった。顔はぼんやりとして、はっきりとは分からない。

その晩、主人は自分でも読んでみた。ある頁で、手が止まった。行灯あんどんの灯りの下で、この絵草紙を読んでいる主人自身の姿。次の頁には、驚いた顔でその絵を見つめている主人の姿が、また描かれていた。さらに次の頁にも、同じように驚く主人の姿が、少しずつ違う角度で描かれ続けていた。

本を閉じることができなかった。閉じれば、この続きがどうなるのか、確かめられなくなる気がしたからだ。頁をめくるごとに、絵の中の主人は、より濃く、より詳しく描かれていく。着物の柄、手の皺、額の汗の一滴まで。

夜が明ける頃、とうとう本を閉じた。それ以上、頁をめくる気力がなかった。翌朝、その絵草紙を、貸し出しの品書きから外した。二度と客に貸さないことにした。

それでも、店じまいの後、あの絵草紙が置かれた棚の前で、しばらく立ち止まる癖がついた。開くつもりはない。ただ、その本がそこにあることを、確かめずにはいられない。丸屋の軒先には、今日も、貸し出しを待つ本が、静かに積まれている。

一人娘が、いつかこの店を継ぐと言い出した日、主人は初めて、あの本のことを話そうかと迷った。

結局、その日は何も言えなかった。

この話について
編者の後書き
「一頁目」という語りで始め、頁をめくる動作そのものを、段落の切れ目として使う構成にした。実際に本を読み進める時間の流れを、文章の進行と重ね合わせている。
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江戸怪談百物語 全99夜
第1夜文使い 第2夜三味線 第3夜湯屋ゆや 第4夜損料屋 第5夜髪結かみゆいい 第6夜蕎麦そば屋台 第7夜質屋しちや 第8夜花火師 第9夜十間店の噂 第10夜花見 第11夜かわたれ 第12夜文字売り 第13夜三人の証言 第14夜絵草紙今、ここ 第15夜あとを追う男 第16夜借金取り 第17夜祝いの日 第18夜賽の目 第19夜往来切符 第20夜箱の中 第21夜影の分だけ 第22夜夜番 第23夜双子の橋 第24夜最後の客 第25夜百物語のあと 第26夜役者絵 第27夜三つの願い 第28夜聊斎の客 第29夜能面の女 第30夜三つ子の産婆 第31夜忘れ物 第32夜蜘蛛の糸 第33夜永代橋の約束 第34夜影法師の借金 第35夜蔵の中の声 第36夜柳の下の男 第37夜首なし地蔵 第38夜百夜通い 第39夜読めない文 第40夜鏡師の遺言 第41夜羅生門の跡 第42夜変身 第43夜三人姉妹 第44夜狂気の沼 第45夜桶の中の顔 第46夜辻斬りの家 第47夜狐の嫁入り 第48夜虫の音 第49夜千両箱 第50夜消えた花嫁 第51夜耳無し芳一の弟 第52夜蛍の宿 第53夜竈かまどの中の声 第54夜紙人形の恋 第55夜鴉の遺言 第56夜くじの村 第57夜動かない番頭ばんとう 第58夜覚え違いの家庭教師 第59夜寄せ集めの人形 第60夜森の中の疑い 第61夜菊の約束 第62夜葦を刈る女 第63夜双六の果て 第64夜蜃気楼しんきろうの店 第65夜木霊の宿題 第66夜蝸牛の使者 第67夜百物語を辞める男 第68夜かかし問答 第69夜氷売りの影 第70夜蝙蝠問屋 第71夜錠前屋の鍵 第72夜提灯ちょうちんの灯り分け 第73夜蟬の宿替え 第74夜紅葉の便り 第75夜百物語の火 第76夜開かずの間 第77夜竹取の後日 第78夜酒呑みの罠 第79夜反物たんものの行方 第80夜蟻の行列 第81夜三日月の刀 第82夜硯の中の海 第83夜駕籠かごの中の声 第84夜金魚の目 第85夜蝶の遺言 第86夜石の記憶 第87夜三味線堀の月 第88夜蜻蛉の道しるべ 第89夜竹箒の踊り 第90夜縄暖簾のれんの声 第91夜提灯ちょうちんの返し忘れ 第92夜百足の忠告 第93夜鶴の恩返しの後 第94夜百物語の百一話目 第95夜影送り 第96夜九十九の灯 第97夜灯芯とうしんの続き 第98夜宮崎の灯 第99夜最後の灯芯とうしん