図粘は、組織図が広げられる場所に居着く。人駒と同じ机にいるが、こちらは駒ではなく盤そのものを捏ね直す。そこに座った者に、組織を作っては壊すことを繰り返させる。人駒が人を駒として動かす妖怪なら、図粘はその上位にあたる。駒ではなく、盤そのものを捏ね直してしまう。
課題があるから作り直すのではない。なんとなく飽きたから、組織図を粘土のように変える。「この体制はもう古い」「一度まっさらにしよう」。新しい線が引かれるたび、そこに順応しかけていた人たちの生活は簡単に脅かされる。覚えた手順は使えなくなり、築いた関係は切れ、かけた時間は無駄になる。
組織からは、蓄積が消えていく。阿吽の呼吸。達人の勘。熟年の技術。どれも長い時間をかけてしか溜まらないものだ。図粘が一度捏ねれば、まとめて失われる。
この妖怪は、破壊衝動と創造衝動を並行して持っている。だから一見、クリエイティブに見える。本人もそう思っている。だが実際は、低空飛行でゴミを量産するようなレベルの低い創造の繰り返しである。壊して作る。壊して作る。高さは、いつまでも変わらない。
図粘は、感情で動いている場合がほとんどだ。理屈で線を引いているのではない。その日の気分で引いている。だからこの妖怪には、人間の子供らしい側面がある。妖怪としては、かなり珍しい。そして、それが一番怖いのかもしれない。悪意があるなら、まだ話ができる。だが図粘は、自分が何を壊したのか、最後まで分かっていない。
無知や無能が無邪気の場合、それは邪気である。
組織図を粘土のように捏ね、課題ではなく気分で作り替えさせる。人駒の上位にあたり、駒ではなく盤そのものを壊す。一体になれば、自分が壊したものの価値が、最後まで分からない。
小物の妖怪は、悪戯好きだと思って可愛がりながら、うまく付き合えばいい。だが大妖怪は違う。絶対に一体になってはならない。