天狗巡り紀行 第1回

太郎坊 ― 富士山太郎坊と、御殿場口の記憶

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富士山太郎坊・御殿場口ルートの史実部分は、全国天狗マップで調べた複数資料にもとづく。ここから先の登山の記憶・感じたことは、編者・一見坊の一人称のエッセイとして、史実とは明確に分けて書く。

御殿場口という道

史実:御殿場口は、富士山の四つの主要登山道の中で、五合目の標高が最も低く(新五合目、約1,440m)、山頂までの獲得標高が最も大きいルートとされる。他のルートに比べて山小屋の数も少なく、下山道の「大砂走り」は火山礫(スコリア)の斜面を一気に駆け下れることで知られる一方、登りは同じ礫が足を取られ続ける、体力を要する道になる。標高1,300〜1,500m付近には「太郎坊」と呼ばれる区間があり、これは富士山を守護する大天狗・太郎坊(富士太郎)を祀った祠ほこらに由来する地名である。冬季、この一帯は雪崩の多発地帯としても知られ、1990年には御殿場市営スキー場が度重なる雪崩被害のため廃止された。

記憶(私見)

真冬の富士に登っていた頃、いつも太郎坊から登った。理由は明確だった。御殿場口ルートは、冬は他のルートよりも風にさらされにくいと言われている。真冬の富士では、暴風そのものが命に関わる。だから、太郎坊を起点に選んでいた。

深夜1時頃、いつも独りで登り始めた。ヘッドライトの光が、英国海外航空機の慰霊碑を照らした瞬間、急に怖くなったのを覚えている。当時付き合っていた彼女、今の妻に電話をかけながら、しばらく登った。今は昼間の下山であの慰霊碑の前を何度も通っているけれど、あんな場所を夜中に、よく一人で歩いていたものだと、今になって感心する。

登頂できたのは、4回目だった。

1回目は、天候が荒れて、体力も削られて、途中で引き返した。2回目は、登っている最中に落石に遭った。3回目は、雪崩だった。理由はその都度違ったが、結果はいつも同じで、山頂には立てなかった。それでも、そのたびに、なんとか自分の足で下山できていた。

御殿場口は、他の登山道よりも五合目が低く、獲得標高がいちばん大きい。真夏でもきつい道だが、真冬はそれに風と氷が乗る。山小屋はほとんど機能しておらず、すれ違う人もほとんどいない。ひたすら自分の足音と呼吸だけを聞きながら、火山礫の急坂を登る。何時間も、ほぼ無音の中にいる時間だった。

4回目、2月14日。ようやく山頂に立てた。

当時は、とにかく真冬の富士山を「落とし」たくて、夢中だった。落とす、なんて言い方は、今思えばとんでもない。実際には、自分の力で登ったわけではなく、ただ天狗の力によって登らせてもらっていただけなのかもしれない。

今回、太郎坊という地名の由来を初めて調べて、あの場所に、富士山を守る大天狗が祀られていたことを知った。天狗研究では「東の横綱」と称されるほどの、貫禄のある天狗だという。当時は、そんなことを知らずに、ただ黙々と登っていた。

悪天候、落石、雪崩。どれも、命に関わる種類の危険だったと思う。それでも一度も大きな怪我をせず、毎回、無事に戻ってこられていた。守られていた、と言葉にしてしまうと少し大げさかもしれないけれど、今こうして振り返ると、そう感じてしまう。

宮田登みやたのぼるの境界論きょうかいろんを、このサイトを作りながら何度も引用してきた。峠や辻のような境界に妖怪が現れる、という考え方。御殿場口の太郎坊も、まさに人里と、人が普段立ち入らない山頂部との境界にある。名前も由来も知らないまま、自分はただその境界を、何度も一人で越えていた。名前を知った今のほうが、当時より少し、あの道が近くなった気がする。

記録(当時の登山動画)

実際に太郎坊から御殿場口ルートを登った時の記録。前編・後編。

前編

後編