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コース別・歴史の基本知識 / 03 頼朝の菩提ぼだいと草創期の鎌倉

03頼朝の菩提と草創期の鎌倉

SEASONAL PICK — このコースがおすすめの季節

2月・梅:荏柄天神社えがらてんじんしゃは梅の名所。祭神さいじん・菅原道真すがわらのみちざねゆかりの花でもある。

鎌倉駅東口鎌倉宮かまくらぐうバス停
2.5時間 施設間の徒歩距離 約3.2km 大人合計 無料

何もない場所ほど、実は語ることが多い——そう思ったことはありますか。1184年、頼朝は父・源義朝みなもとのよしともの霊を慰めるため、勝長寿院しょうちょうじゅいんというお寺を建てました。頼朝自身が亡くなったのは1199年のこと。その体は法華堂ほっけどうに埋葬されたと伝わっています。大倉幕府跡おおくらばくふあと、法華堂跡ほっけどうあと、そして後にできた永福寺跡ようふくじあとを一緒に歩くと、昔の鎌倉の中心が、今の観光地とはちょっと違う場所にあったことが分かります。建物は残っていませんが、そこに何があったかを辿るコースです。何もない場所が、かつて幕府の中心だったと知ると、頭がくらくらんぽします。立ってみると、その「何もなさ」が思いのほか語りかけてきます。

このコースの近くの風景です。写真帖『日本名勝旧蹟産業写真集 関東地方之部 新訂』に載った「鎌倉宮」です。国立国会図書館所蔵。出典:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」。国立国会図書館デジタルコレクションで見る
  • 出発地点:鎌倉駅東口
  • 鎌倉駅東口から 徒歩900m・約13分
    勝長寿院跡しょうちょうじゅいんあと無料
    1184年建立。頼朝が父義朝の菩提のために建てた鎌倉最初の大寺院(現在は跡地)。
  • 勝長寿院跡から 徒歩400m・約6分
    大倉幕府跡無料
    頼朝以来の幕府庭地。
  • 大倉幕府跡から 徒歩200m・約3分
    法華堂跡無料
    頼朝の墓。
  • 法華堂跡から 徒歩600m・約9分
    永福寺跡無料
    奥州合戦の戦没者供養のため頼朝が建立。
  • 永福寺跡から 徒歩500m・約7分
    荏柄天神社えがらてんじんしゃ無料
    平安後期創建の古社。
  • 荏柄天神社えがらてんじんしゃから 徒歩600m・約9分
    解散地点:鎌倉宮バス停

トリビア

荏柄天神社の境内には、漫画家・清水昆しみずこんをはじめとする多くの漫画家が奉納した「かっぱ筆塚」「絵筆塚」があります。使い古した筆を供養する「筆供養」の風習によるもので、学問の神様が、いつしか絵筆を持つ人々にも慕われるようになった一例です。

季節の見どころ

荏柄天神社は早春、紅白の梅が咲きます。菅原道真が梅を愛した和歌にちなみ、受験生には「梅守」というお守りが人気です。秋には樹齢900年と伝わる大銀杏が黄金色に染まります。

歴史の基本知識

勝長寿院跡・大倉幕府跡・法華堂跡・永福寺跡・荏柄天神社

03 祀られているもの05 権力との関係

この知識の見方(神社と寺の違い・建築を見る目など7つの視点)は、コース別・歴史の基本知識のトップで解説しています。

源義朝みなもとのよしとも05
頼朝の父。平治の乱(1160年)で敗死。勝長寿院はその菩提を弔うために建てられました。
大倉おおくら幕府05
頼朝が鎌倉入り後に構えた政庁。現在は跡地として残るのみで、当時の建物は何も残っていません。
奥州合戦おうしゅうかっせん05
1189年、頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした戦い。永福寺ようふくじはその戦没者供養のために建立されました。
法華堂04
頼朝の墓所とされる場所。もとは頼朝の持仏堂だったと伝わります。
菅原道真すがわらのみちざね03
荏柄天神社の祭神。学問の神として知られますが、もとは怨霊を鎮めるための「御霊信仰ごりょうしんこう」から発した神格でもあります。

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企画・編集・デザイン・制作・文責:クランポック