何もない場所が、目を引く。
まんなかの広い黄色に注目。絵でうめないことで、周りの人物や文字が目に入りやすくなります。
デザイン表現史RESEARCH EDITION代表作品画像3点・建築とポスターを比較
歴史的な芸術家団体・展覧会と出版を通じた運動
Vienna Secession
絵をかいても、人に見てもらう場所が必要です。
1897年、ウィーンのクリムトたちは、それまで入っていた美術の団体をはなれました。
そして、自分たちで作品を見せるための団体をつくりました。
これが「ウィーン分離派」です。
建物やポスター、雑誌もつくり、作品を人々に届けました。
実作品を見る · 1898年

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グスタフ・クリムト/印刷:アルベルト・ベルガー · 1898年
まんなかの広い黄色に注目。絵でうめないことで、周りの人物や文字が目に入りやすくなります。
右の女神と、下の文字のかたまり。その間にある空いた場所も、画面を組み立てる大事な一部です。
Wien Museum, Inv.-Nr. 129001/4 / CC0
作品・写真の元ページを見る ↗この画像はウィーン・ミュージアムの小型版(64×47cm)。MAK所蔵の別の版とは区別します。
原画像をそのまま保存しています。表示用画像は全体の形と色を保って縮小し、WebPに変換しました。切り抜きや描き直しはしていません。紙の外側の撮影用カラーチャートも原画像のまま残しています。
実作品を見る · 1902年

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コロマン・モーザー/印刷:アルベルト・ベルガー · 1902年
三人の青い髪は大きな丸。服の模様や下のます目には四角と三角。人と文字が、同じ形の仲間でつながっています。
細い線で描かれた文字を、ます目と見比べましょう。読むための文字が、画面の模様にもなっています。
Wien Museum, Inv.-Nr. 129060/1 / CC0
作品・写真の元ページを見る ↗この紙は187.6×63.5cmの細長いポスター。雑誌の表紙ではありません。
原画像をそのまま保存しています。表示用画像は全体の形と色を保って縮小し、WebPに変換しました。切り抜きや描き直しはしていません。紙の外側の撮影用カラーチャートも原画像のまま残しています。
実作品を見る · 建物1898年/写真2024年

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ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ(建築)/写真:Conny Duck · 建物1898年/写真2024年
まっすぐな白い壁の上に、丸い金色のかたまり。葉を集めた屋根が、建物の目印になっています。
作品を発表するために、芸術家たちは会館を建てました。入口の文字や飾りも、建物と一緒に見てみましょう。
Secession Building Vienna — © Conny Duck, 2024, via Wikimedia Commons. Architecture: Joseph Maria Olbrich, 1898. / CC BY-SA 4.0
作品・写真の元ページを見る ↗2024年に撮影した正面です。建物は修理や建て直しを経ています。1898年そのままの姿ではなく、写真には左右の棟全体も入りません。
原画像をそのまま保存しています。表示用画像は全体の形と色を保って縮小し、WebPに変換しました。切り抜きや描き直しはしていません。縮小した写真もCC BY-SA 4.0で提供します。
ここからは、所蔵館などの作品ページで見てみましょう。この欄の作品画像は、まだ掲載していません。
作品の内容を説明する見出し
原題:Ver Sacrum 第1年・特別号
複数の人が絵や文章などを持ち寄った雑誌です。
ページの中で、文字と絵がどう並ぶかにも注目できます。
Alfred Roller(編集)/Peter Behrens・Leopold Kainradl(誌面装飾、記録上)ほか / 1898
展示だけでなく、出版によって作品や考えを伝えた例です。複数の寄稿者の仕事と、図像や文字の関係を、一冊の号ごとに見る候補です。
団体アーカイブVS 1 - 4にある、28.5×30×0.4cmの特別号です。Gerlach & Schenkが出版し、Philipp & Kramerが印刷しました。通常の第1号の表紙と混同せず、Moser一人による設計とも記しません。掲載する具体的な見開きと、画像の権利は未確認です。
作品の内容を説明する見出し
原題:Beethoven Frieze(第14回分離派展のための壁面連作)
1902年の会場では、左側に、クリムトがかいた壁の絵がありました。
壁の開いたところからは、クリンガーのベートーヴェン像が見えました。
別々の作品を、一つの部屋でどう見せるかも考えられています。
Gustav Klimt(壁画)/Josef Hoffmann(展覧会全体の指揮) / 1902
会場左側の壁画と、開口部の向こうに見えるMax KlingerのBeethoven像が、一つの空間で結びつきます。複数の芸術を一つの体験にまとめる考えがわかる例です。壁画だけを掲載する場合も、展示全体との関係を説明します。
21人が参加した展覧会を、Klimt一人の作品とは考えません。現在の地下展示室は1986年から公開されたもので、1902年の会場配置とは異なります。展覧会の終了日は、公式説明とアーカイブの日付欄で食い違うため、ここでは年だけを示します。
魚の模様が付いた戸棚です。
1900年の第8回分離派展に出されました。
暮らしに使う家具も、作品として人に見せていたのです。
コロマン・モーザー(設計)/ポルトワ&フィックス(制作) / 1900年
魚の模様をつけた戸棚です。1900年の第8回分離派展に出されました。展覧会には、絵だけでなく暮らしで使う家具もあったのです。
MAK H1700。写真の商用利用条件は未確認のため、ここには載せず所蔵館の作品ページへ案内します。
自分たちの作品を見せる場所も、伝える方法も、自分たちで作ろう。ウィーン分離派は、古い美術の仕組みから離れた芸術家の団体です。作品に加え、会館、展覧会ポスター、雑誌を一緒に見ると、その新しさが分かります。
1897年、クリムト(Klimt)らは、保守的な美術家団体キュンストラーハウス(Künstlerhaus)から分かれました。初代会長はクリムトです。1898年には、オルブリヒ(Olbrich)が設計した会館が完成しました。雑誌『ヴェル・サクルム(Ver Sacrum)』も活動を伝えました。1905年にクリムトのグループが離れますが、団体が解散したわけではありません。団体と展示活動は現在も続いています。
以下は観察のための問いです。すべての作品に共通する固定ルールや、未取得画像の実見結果ではありません。
金色など、一つの配色だけでは説明できません。会館のドームを覆う金箔(きんぱく:薄くのばした金)と、ポスターや雑誌の紙・インクは、別の材料です。記録によると、『Ver Sacrum』の1898年特別号には、青の活版印刷(かっぱんいんさつ:文字などの出っ張った面にインクを付けて紙に押す印刷)の表紙と、緑がかった紙の部分があります。現代に刷り直した物の色を、当時の印刷の証拠にはしません。
クリムトの第1回展ポスターでは、文字のまとまり、何も印刷していない余白、人物を描く線の関係を見ます。文字が情報を伝えると同時に、飾りとしてどう働くかを、実際の印刷面で確かめます。
会館では、展覧会のための空間と、意味を込めた装飾を分けて見ます。建築を担当したオルブリヒと、装飾に参加したモーザー(Moser)らの仕事を、一人の作品にまとめないことが大切です。
建築、ポスター、雑誌では、組み立てる要素が違います。広い余白と、文字や絵が密集した部分の対比は、それぞれでどう働くでしょうか。参加した全員が同じ様式を使ったとは考えません。
COMPARE
アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)やユーゲントシュティール(Jugendstil)は、複数の地域や表現にまたがる様式の呼び名です。一方、ウィーン分離派は、結成や展覧会の記録を持つ団体です。ウィーン工房(Wiener Werkstätte)は、ホフマン(Hoffmann)・モーザー・フリッツ・ヴェルンドルファー(Fritz Waerndorfer)が1903年に設立した、別の工芸・デザイン組織です。
人や、複数の芸術を一つにまとめる考え方には接点がありますが、同じ組織ではありません。モーザーが分離派を離れたのは1905年、工房を離れたのは1907年です。
項目を横に並べる ↗READ TODAY
同じ団体が現在も展示を続けていることと、1900年前後の形をまねた現代のグラフィックは、別の話です。書体や金色の飾りだけで関連を決めず、誰が展示し、編集し、制作しているかを確かめましょう。
このページを書くときに使った資料です。作品の説明、画像を入手できたかどうか、画像を使う条件は、それぞれ別に確かめています。検索結果で読んだ情報と、元のページを開いて確かめた情報も、調査の記録で分けています。
この項目の収録実画像:3点(図鑑全体:28点)。参照・関連実作品はこの項目0点(図鑑全体2点)。代表作品画像セットの数には含めません。